伊賀の方(伊賀氏)~鎌倉幕府執権・北条義時の疑惑多き継室~

中世史(日本史)

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公、北条義時は正室を2人迎えています。1人目は比企朝宗の娘・姫の前ですが、2人目の正室(継室)が、伊賀朝光の娘、伊賀の方です。

夫義時の毒殺疑惑や、彼女の名前の冠された政変「伊賀氏の変」などの存在もあり、どこかスキャンダラスな印象の女性ですが、実際はどのような女性なのでしょうか。

北条義時継室・伊賀の方について調べてみました。

伊賀の方の出自~父は伊賀朝光、母(義母)は二階堂行政娘~

伊賀の方の父は、伊賀所六郎朝光です。朝光は大百足退治などの逸話で知られる関東の伝説的武将、俵藤太こと藤原秀郷の子孫でした。

伊賀朝光はもともと蔵人所の下級官人でしたが、源頼朝に仕え、伊賀守に任ぜられたことから、「伊賀」を名字として名乗るようになりました。

伊賀の方の母は分かっていませんが、伊賀朝光は二階堂行政の娘と結婚していたため、伊賀の方の母親も、二階堂行政の娘の可能性があります。

二階堂行政は「鎌倉殿の13人」こと、十三人の合議制のメンバーの1人です。もしも伊賀の方の母が二階堂行政の娘ならば、伊賀の方は祖父の同僚だった人物と結婚したことになりますね。

伊賀の方と北条義時の結婚

伊賀の方と北条義時がいつごろ結婚したのかはよく分かっていません。

ただ、義時と前妻・姫の前の離婚のきっかけとなった(可能性が高い)「比企能員の変」は、1203年(建仁3年)のことで、伊賀の方が子供の北条政村(義時の四男で、七代執権)を産んだのは1205年(元久2年)のことです。

そのため、1204年(元久元年)頃に、伊賀の方は北条義時の継室となった可能性が高いでしょう。

ただ、本当に伊賀の方が継室として輿入れしてきたかは分かりません。

北条義時は源頼朝の姉妹の嫁ぎ先でもあった伊佐氏の娘を側室としています。伊賀の方も同様にもともとは側室で、姫の前との離縁後に継室に昇格した……ということも有りうるかもしれませんね。

姫の前とは離縁という形に終わってしまった義時ですが、伊賀の方とはそれなりに平穏に夫婦生活を営んでいたようで、伊賀の方と北条義時の夫婦関係は、1224年(元仁元年)の義時の死まで続きました。

伊賀の方は義時との間に、北条政村、北条実泰、北条時尚の3人の息子と、のちに一条実雅に嫁ぐことになる娘を1人産んでいます。また、義時の生母不明の娘たちの母親だった可能性もあります。

伊賀の方は義時の生前は、さほど目立つ動きは見せていません。しかし、夫義時の死後、伊賀の方の周囲は一気にきな臭くなります。

伊賀氏の変~伊賀の方と一条実雅~

義時の死後、伊賀の方はあることを計画したとされています。その内容は、娘婿である一条実雅を将軍に就任させ、実子の政村を執権につけよう、というものです。

当時の将軍は、頼朝の姉妹のひ孫である、摂家出身の四代目将軍・藤原(九条)三寅(のちの藤原【九条】頼経)でした。

一条実雅は伊賀の方の娘と結婚しているだけでなく、頼朝の姉妹の所生でこそありませんが、三寅の大叔父にあたる人物でしたから、将軍職に近い人物の1人ではあったのでしょう。将軍三寅の近親、側近でもあったため、一条実雅は幕府内にも一定の勢力を築いていました。

しかしこの計画は露見します。計画を知った尼将軍こと、北条政子は激怒しました。

そして、伊賀の方に与したとされる人々は散り散りに流罪となります。伊賀の方自身は伊豆国に、伊賀の方の兄・伊賀光宗は信濃国へ、そして娘婿一条実雅は越前国へと流されました。

伊賀の方が執権就任を目論んでいた政村は、連座を免れることができました。

伊賀の方の兄・伊賀光宗は流罪にされますが、北条政子死後、御家人に復帰し、所領も回復しました。光宗はさらには評定衆にも就任するなど、なんとか自分の立場を回復させることが出来ました。

しかし、一条実雅は、妻である伊賀の方の娘と離縁させられたうえ(伊賀の方の娘は連座を免れたようで、のちに公家の唐橋通時に再嫁しました)、流罪先の越前国で4年後に急死します。

伊賀の方の死と死因

北条政子の怒りを買い、伊豆国に流罪になった伊賀の方。流罪先の伊豆国北条は、まさしく北条一族の名字の地でした。鎌倉から離れた、夫ゆかりの地で伊賀の方が何を思ったのかは不明です。

伊賀の方は配流されて4か月後、いきなり危篤状態に陥ります。

その後伊賀の方が回復したのか、そのまま亡くなったのかは記録に残されていませんが、いずれにせよ、伊賀の方が鎌倉に戻ったという記録は残されていないので、時期に前後はあれど、配流先で亡くなった可能性は高いでしょう。

さて、それまでは陰謀を画策するなど、ある程度元気だった伊賀の方が、なぜいきなり危篤状態に陥ったのか、理由は分かりません。

ただ、「伊賀氏の変」については、実は伊賀の方が画策していたことは何一つなく、先代執権の後家として伊賀の方、ひいては伊賀一族が権力を握ることを警戒した北条政子によるでっち上げとの説もあります。

もしかしたら、北条政子の手のものによって何か仕込まれた……なんてことも、ありうるのかもしれませんね。

伊賀の方による北条義時毒殺疑惑

伊賀の方に関するスキャンダルとしては、「伊賀氏の変」以外にも有名なものがあります。それが、伊賀の方が夫である北条義時を毒殺したという伝承です。

それは、同時代の公家で、「小倉百人一首」の撰者としても有名な藤原定家の日記『明月記』中で語られている話です。

一条実雅の兄で、承久の乱で京方として戦った僧侶・尊長がとらえられ、拷問を受けている際に叫んだのです。「義時の妻が義時に飲ませた薬で私も殺せ」と。

伊賀氏の変にかかわっていた一条実雅の兄が語ったこと、というのがこの毒殺説に信ぴょう性を与えているような気もしますね。

とはいえど、北条義時の死は急なものではありましたが、義時が、自身の死の前に健康を祈って加持祈祷を行うなど、体力不安や病魔を抱えていたことは間違いないようです。

伊賀の方が実際に毒殺を実行に移したのか、移していないのか。北条義時毒殺説の真偽は今となっては全く分かりません。

北条義時の妻たち
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