中世史(日本史)

虎御前 曽我兄弟を愛した遊女

かたき討ちで有名な曽我兄弟。彼らはかたき討ちを遂げた後、二人とも若くして死ぬこととなってしまいます。 まるでかたき討ちを成し遂げるためだけに生き延びたように、駆け足でその生涯を終えた二人ですが、そんな彼らも若者らしく恋をしました。 ...
中世史(日本史)

源氏将軍を断絶させた男・公暁を取り巻く人々

源氏の三代目将軍であった叔父・源実朝を暗殺した青年僧・公暁。 彼の凶行により、源頼朝以来の源氏将軍の家系はもとより、源頼信から続く河内源氏の直系も断絶することになります。(阿野全成の家系など傍系は続きますが……。) 公暁もまた長...
中世史(日本史)

大姫の死因は病死?暗殺?自殺?謎多き大姫の死因について

大姫、というとおそらく多くの人は源頼朝の長女を想像するのではないでしょうか。 『鎌倉殿の13人』では、これから南沙良さんが演じることでも話題を集めていますよね。 婚約者であった源義高(木曽義高)の死で大ダメージを受けた大姫ですが...
女院

後鳥羽院の煽りを受けた女 陰明門院大炊御門(藤原)麗子

後鳥羽院はよく言えばカリスマ、悪く言えばなかなか我の強い性格をしていたようです。 自身の子供に対しても好き嫌いがはっきりしていたようで、修明門院の子・順徳天皇への偏愛は特に有名でしょう。 そして順徳天皇への偏愛もあり、その煽りを...
女院

父の没落を見ることはなく 春華門院昇子内親王

院政期、莫大な所領を所有していたことで知られるのが、八条院こと鳥羽天皇皇女・暲子内親王でした。 彼女の遺領を引き継いだのが、後鳥羽天皇唯一の正嫡の娘・春華門院昇子内親王です。 後鳥羽天皇の嫡女として生まれて 春華門院 昇子 後鳥羽...
近代史(日本史)

夢破れるも歩み続けた女教師・吉益亮子(りょう)

日本初の女子留学生と言えば、言わずと知れた津田梅子の名前があがることでしょう。 では他には?と言われた場合、歴史に詳しい人ならば、山川(大山)捨松や、永井(瓜生)繁子の名前があがるかもしれません。 彼女たち3人は長きにわたって米...
中世史(日本史)

後鳥羽上皇と白拍子たち

『平家物語』における祇王、仏御前、そして源義経の愛妾、静御前など、白拍子は平安末期~鎌倉時代にかけて多く歴史の中にその姿を現しています。 男装して歌舞を奉ずる彼女たちは、多くの貴族や皇族を魅了しました。 魅了された男性の中に、後...
女性史

津田梅子・岩倉使節団とともに留学した女性・上田悌子(てい)

明治四年、岩倉使節団とともに「日本初女子留学五少女」としてアメリカに留学を果たした上田悌子。 しかし、津田梅子、永井(瓜生)繁子、山川(大山)捨松とは異なり、留学途中で帰国を果たすこととなります。 そんな上田悌子(てい)について...
古代史(日本史)

蘇我蝦夷・入鹿親子に子孫はいるのか?

645年、大化の改新に先立つ乙巳の変にて、蘇我本宗家の大臣・蘇我入鹿が暗殺されました。 その後、入鹿の父親である蝦夷も、蘇我家の大量の宝物、また『天皇記』といった歴史書らを道連れに、館に火を放ち自害しました。 さて、これにて蘇我...
中世史(日本史)

坊門局(西御方)~最も長く後鳥羽院のそばにあり続けた女性~

後鳥羽上皇の周りには常に多くの女性がいました。 彼がその生涯でもっとも寵愛したであろう女性は、やはり修明門院こと藤原重子ではないかな?と思われますが、後鳥羽上皇のそばに最も長くい続けた女性は、実は別の女性になります。 修明門院と...
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