正室

古代史(日本史)

藤原道兼の妻(正室、側室)たち

2024年の大河ドラマ『光る君へ』で、主人公・まひろ(紫式部)の母・ちやはを殺すなど、ヒールっぷりをいかんなく発揮しているのが、玉置玲央さん演じる道長の兄「藤原道兼」です。 藤原道兼は後に長兄・道隆の跡を継いで関白の座を受け継ぎますが、す...
中世史(日本史)

羽柴(豊臣)秀長の妻(正室、側室)たち

豊臣秀吉の異父弟で、兄・秀吉を陰に日向に支えるづけた弟・秀長。 兄・秀吉の偉大さゆえに、その功績は隠れていますが、秀吉の天下取りはこの弟の献身なくしては達成できなかったでしょう。 秀長は兄秀吉に先立って亡くなってしまいますが、彼が生きて...
中世史(日本史)

平岩親吉の妻(正室・側室)と子と子孫たち

大河ドラマ『どうする家康』で石川数正らと並んで家康股肱の臣として描かれているのが平岩親吉です。 家康と同年の生まれであることから、家康の小姓となって今川家への人質時代にも付き従うなど、彼は家康幼少期から自身が亡くなるまで、家康に忠実に仕え...
近世史(日本史)

田沼意次の妻(正室、継室、側室)たち

江戸幕府の老中として当時としては画期的な重商主義的な政治を行った田沼意次。 様々な財政政策を行ったと同時に、過激なまでの賄賂政治(当時の風潮では「当たり前」のことでしたが)を揶揄されるなど毀誉褒貶の激しい人物でもありますが、彼の時代には蝦...
近世史(日本史)

一橋治済(徳川治済)の妻(正室・側室)たち

よしながふみ先生の『大奥』の中には様々な人物が出てきますが、その中でもっともサイコパスな面が描写されたのは「一橋治済」(作中では女性として描写)でしょう。 作中ではそのサイコパスっぷりから「怪物」などとも表現されていた彼女ですが、史実の一...
中世史(日本史)

家康四男・松平忠吉の妻(正室・側室)と子供・子孫

江戸幕府二代目将軍・徳川秀忠には一人だけ同母の弟がいました。 彼の名前は松平忠吉、家康と側室・西郷局ことお愛の方との間に、家康の四男・福松丸として生まれた秀忠の同母弟は、しかし28歳という若さで早世してしまいます。 もしも長生きしていた...
中世史(日本史)

柴田勝家の妻(正室、継室、側室)たち

織田信長の重臣であった柴田勝家。 後にお市の方の夫、そして彼女の三人の娘―後世に「浅井三姉妹」と伝わる三人の少女たちの継父にまでなった人物ですが、織田家当主などをめぐる争いの中で、豊臣秀吉と敵対、北ノ庄城にて妻・お市の方とともにその命を閉...
中世史(日本史)

穴山信君(穴山梅雪)の妻と子と子孫たち

甲斐武田家の滅亡には様々な要因がありましたが、その一つが家臣の裏切りでしょう。 武田二十四将の一人であった小山田信茂、信玄の三女・真理姫の夫であった木曾義昌らの裏切り……そして、同じく信玄の次女の娘婿であった穴山信君(梅雪)の裏切りもまた...
中世史(日本史)

鳥居強右衛門の妻と子と子孫たち

長篠の戦い、と聞くと、騎馬対鉄砲、三段打ちなどのキーワードを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 実際のところ三段打ちがあったかは不明瞭だったりします。 が、いずれにせよ武田最強の騎馬隊を鉄砲軍団によって打ち破った長篠の戦いは、武...
中世史(日本史)

大賀弥四郎(大岡弥四郎)の妻子と一族たち

天正三年(1575)、武田氏と内通したとして、岡崎城下の町奉行を務めていた武士・大賀弥四郎(大岡弥四郎)が鋸引きという酷刑にて亡くなりました。 彼の死からおよそ4年後、彼の主君でもあった徳川信康(松平信康)は父によって自害を命じられ、死に...