側室

中世史(日本史)

藤原秀康の妻(正室・側室)と子孫

承久の乱において、後鳥羽上皇軍の総大将の地位にあったのが藤原秀康でした。 この秀康、先祖は大百足退治で知られる俵藤太こと藤原秀郷なのですが、本人は鎌倉から遠く離れた京の地でおもに御所の警護にあたっていた人物、かつ受領として富を築いてきた人...
中世史(日本史)

鎌倉幕府第六代将軍・宗尊親王の妻(正室、側室)と子供たち

鎌倉幕府の将軍は源氏将軍が3代で絶えた後、頼朝の妹の子孫である摂家の子息を将軍としていました。 しかし、四代目将軍・藤原頼経、そしてその息子の5代目将軍・藤原頼嗣はいずれも若いうちに将軍位を追われ、京へと追放されます。 新たに鎌倉幕府が...
中世史(日本史)

北条時氏の妻(正室・側室)と子と子孫たち

『御成敗式目』を制定するなど、鎌倉幕府の安定化を図ったことで知られる三代目執権・北条泰時。 泰時の後継者は、三浦義村の娘との間に生まれた嫡男・時氏でしたが、彼は早世してしまいます。 しかし、時氏の子たちが祖父の跡を継いだことで、時氏の血...
中世史(日本史)

源仲章の妻(正室・側室)と子たち

『鎌倉殿の13人』では、生田斗真さんが演じることでも話題となっているのが、公家でありながら鎌倉幕府においても重きをなした文章博士・源仲章です。 仲章は後白河院近臣を父に持ち、後鳥羽上皇の側近になりながらも、幕府とかかわりを持ち源実朝の教育...
中世史(日本史)

今川氏真の妻(正室、側室)と子と子孫たち

徳川家康の前半生に深いかかわりを持っているのは駿河の戦国大名・今川家でしょう。 戦国大名・今川家の事実上最後の当主で、家康の人生にも大きくかかわっていたのが今川氏真です。 蹴鞠の才能など、文化人としての側面の強かった今川氏真の妻(正室、...
中世史(日本史)

久松長家(俊勝)の妻(正室、継室、側室)と子と子孫たち

2023年の大河ドラマ『どうする家康』にて、リリー・フランキーさんが演ずることでも話題となった、家康の継父(母・お大の方の再婚相手)が久松長家(後に俊勝)です。 坂部城主、また家康の継父として家康とも協調して活動していた彼と家康の関係はな...
中世史(日本史)

織田信雄の妻(正室、継室、側室)たち

織田信長の次男であり、小牧・長久手の戦いにおいて家康の同盟者となったのが織田信雄です。 後には、家康の三男にして後継者となった秀忠に娘・小姫を正室として輿入れさせるなど、家康とは良い関係を築いていました。 信雄はたびたび父とは異なり愚鈍...
古代史(日本史)

藤原道長の妻(正室・側室)たち

摂関政治の全盛期を築いたのは、藤原北家の御堂関白・藤原道長でした。 その栄華に満ちた生涯から、一説には「光源氏」のモデルの一人ともなったとも言われる藤原道長ですが、彼の立身出世には妻たちの存在も大きく影響していたようです。 ここでは、藤...
中世史(日本史)

安達景盛の妻(正室、側室)たち

鎌倉幕府二代目将軍・源頼家はその短い生涯の中で、父頼朝以上に女性たちとかかわりを持ったことでも知られています。 そんな頼家と女性を巡って因果関係があったのが、頼朝の腹心・安達盛長の嫡男である安達景盛でした。 比企尼の孫でもあり、後に娘を...
中世史(日本史)

鎌倉幕府四代目将軍・藤原頼経(九条頼経・三寅)の妻(正室・継室・側室)と子たち

鎌倉幕府三代目将軍・源実朝が公暁の凶行に倒れた後、将軍についたのは頼朝の妹のひ孫にあたる幼児、九条三寅(後の九条頼経)でした。 四代目将軍となった九条頼経の妻(正室、継室、側室)には誰がいたのでしょうか。 気になったので調べてみました。...