日本史

近世史(日本史)

蔦屋重三郎の弟子?蔦屋吉蔵

2025年の大河ドラマの主人公は、横浜流星さん演じる「江戸のメディア王」・「江戸の出版王」蔦屋重三郎ですね。 実はこの蔦屋重三郎と同じように「蔦屋」を名乗り、浮世絵などを多く出版した地本問屋がいます。 彼の名前は「蔦屋吉蔵」、蔦屋重三郎...
中世史(日本史)

平岩親吉の妻(正室・側室)と子と子孫たち

大河ドラマ『どうする家康』で石川数正らと並んで家康股肱の臣として描かれているのが平岩親吉です。 家康と同年の生まれであることから、家康の小姓となって今川家への人質時代にも付き従うなど、彼は家康幼少期から自身が亡くなるまで、家康に忠実に仕え...
中世史(日本史)

伊賀越えの立役者・多羅尾光俊

本能寺の変後、畿内にいては危ないということで徳川家康はいわゆる「神君伊賀越え」を果たし、浜松まで這う這うの体で逃げ帰ることとなります。 その伊賀越えにおいて、家康に助力をしたことで知られるのが、甲賀衆の元締めとも言われている甲賀の武士・多...
近世史(日本史)

田沼意次の妻(正室、継室、側室)たち

江戸幕府の老中として当時としては画期的な重商主義的な政治を行った田沼意次。 様々な財政政策を行ったと同時に、過激なまでの賄賂政治(当時の風潮では「当たり前」のことでしたが)を揶揄されるなど毀誉褒貶の激しい人物でもありますが、彼の時代には蝦...
近世史(日本史)

一橋治済(徳川治済)の妻(正室・側室)たち

よしながふみ先生の『大奥』の中には様々な人物が出てきますが、その中でもっともサイコパスな面が描写されたのは「一橋治済」(作中では女性として描写)でしょう。 作中ではそのサイコパスっぷりから「怪物」などとも表現されていた彼女ですが、史実の一...
中世史(日本史)

江戸幕府二代目将軍・徳川秀忠の側室たち

江戸幕府二代目将軍の徳川秀忠。 パブリックイメージとしては、姐さん女房の御台所・お江に頭が上がらないような雰囲気ですが、そんな彼もこっそり側室を持ったりしていたようです。 この記事では、江戸幕府二代目将軍として、江戸幕府の枠組みを整備し...
中世史(日本史)

家康四男・松平忠吉の妻(正室・側室)と子供・子孫

江戸幕府二代目将軍・徳川秀忠には一人だけ同母の弟がいました。 彼の名前は松平忠吉、家康と側室・西郷局ことお愛の方との間に、家康の四男・福松丸として生まれた秀忠の同母弟は、しかし28歳という若さで早世してしまいます。 もしも長生きしていた...
中世史(日本史)

豊臣秀吉の子供は鶴松・秀頼だけだったのか?豊臣秀吉の子供たち

豊臣秀吉には十数名の側室がおり、そして一説には数百人以上の女性と関係を持った……と言われています。 しかし、彼の子供として歴史に名前を残しているのは側室・淀殿との間に生まれた大坂夏の陣にて自害に追い込まれた息子・秀頼、そして同じく淀殿との...
中世史(日本史)

旭(朝日)姫 秀吉の異父妹にして家康の継室の一生

徳川家康は息子・信康とともに正室・築山殿(瀬名姫)を失った後、しばらく再婚しませんでした。 この時彼のそばには三河守護代の家柄の側室・西郷局、また武田氏ゆかりの下山殿など、それなりの家柄の側室らがおり、彼女たちとの間に幾人も子が生まれてい...
中世史(日本史)

柴田勝家の養子・実子・子孫たち

一時は秀吉と並び立ち織田家旧臣の中で権力を持っていたこともある柴田勝家。 主君・信長の妹であるお市の方の再婚相手にもなるなどしましたが、結局本能寺の変から一年たらずのうちに秀吉に追い詰められ、妻・お市の方ともども自害して果てることとなりま...