紫式部の姉(藤原為時長女)について

古代史(日本史)

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2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、吉高由里子さん演じる紫式部「まひろ」の生涯を追ったドラマが展開されていきます。

ところで、紫式部の兄弟姉妹というと、彼女の弟・藤原惟規(紫式部の賢さを示す逸話として、弟の横で弟に対して行われていた授業を聞いていただけの紫式部少女の方が、弟よりその内容をよく理解していた)が有名ですが、実は彼女には弟以外にも、母親を同じくする兄弟姉妹がいました。

紫式部には、実は姉がいたのです。

ただこの姉は若くして亡くなったようで、あまり詳しいことは分かっていません。

この記事では、紫式部の「姉」について調べてみました。

紫式部の姉(藤原為時長女)は若くして亡くなっている

姉なりし人亡くなり、又、人のおとと失なひたるが、かたみに行きあひて、「亡きが代はりに思ひ交はさむ」と言ひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、おのがじし遠きところへ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて、

引用:『紫式部集』

紫式部の和歌を集めた『紫式部集』には様々な和歌が集められていますが、その中に九州に下向する受領の娘「筑紫へ行く人のむすめ」とやり取りした和歌があります。

紫式部と彼女が仲良くなったのには、実はある共通点がありました。

紫式部は彼女と仲良くなる前に姉を、そして「筑紫へ行く人のむすめ」は、自身の妹を亡くしていたのです。

大切な姉妹を亡くした二人は、出会ったときにお互いをそれぞれの姉妹の代わりと思おう、と話をします。

紫式部は「筑紫へ行く人のむすめ」を「姉君」と呼び、「筑紫へ行く人のむすめ」は紫式部を「中の君(次女【妹】を指す言葉)」と呼んで、お互いの姉妹の代わりに思い、悲しみを慰め合っていたのです。

そしてこの詞書から、紫式部には姉がいたことが分かっています。そして同時に、若いうちにこの女性が亡くなってしまったことも。

紫式部の姉(藤原為時長女)はいつ頃亡くなったのか?死因は?

紫式部の姉は長徳二年(996)の父・為時の越前下向に同行していないことから、これ以前に亡くなった者と思われます。

死因については分かっていません。

ただ、この当時毎年のように疱瘡(天然痘)や疫病が流行っていた(例えば前年・長徳元年には関白藤原道兼や大納言藤原朝光、左大臣源重信、大納言藤原済時ら朝廷の重鎮が、疫病で大勢亡くなっています)ことなどを考えると、何らかの疫病でなくなった可能性が高いように思われます。

あるいは結婚などをしていたのなら、産褥などで亡くなった可能性もありますね。

996頃までに亡くなっていたことを考えるならば、20代のうちでの死であった可能性が高いでしょう。

いずれにせよその死は紫式部の予期していたものではなく、紫式部の心に大きな傷を残しました。

紫式部の姉(藤原為時長女)はどのような人物だったのか

紫式部は970年ごろの生まれだと言われており、藤若宣孝と結婚して子供を産んだのが998~1001年ごろ、つまり20代後半で結婚したことが分かっています。

彼女の結婚は当時の風潮からすればかなり遅め(紫式部のライバルとして名高い清少納言は10代後半ですでに一児の母でした)であったのですが、結婚が遅れた理由として考えられているものの一つに、彼女が父・為時の家の家刀自、家政を担う立場にあったためでは?というものがあります。

紫式部の母で、藤原為時の正妻であったと思われる藤原為信娘は、紫式部の弟・惟則を産んでしばらくして亡くなっています。

その後為時は別の女性との間に幾人か子を儲けていたようですが、正妻とすることはなかったようです。

妻、そして長男の母がいない家庭で、家政を担うのは娘の役割でした。

そしておそらく、その役目を紫式部よりも前に、最初に担ったのは紫式部の姉だったのでしょう。

紫式部が姉を亡くしたことを非常に悲しんだのは、母のように家庭を取り仕切っていた姉に甘えたりしていたこともあったのかもしれませんね。

紫式部の姉は妹・紫式部に慕われていたことなどを考えても、長女としてとても責任感のある性格で、立派に家政を担っていたのではないでしょうか。

紫式部の姉(藤原為時長女)=宇治の大君?

さて、紫式部の長女の人生やイメージなどを想像すると、源氏物語のある人物との人物像の相似がみられるように思われます。

二人姉妹の姉、責任感がある性格、妹想い、病で早逝……。

そう、宇治十帖において、薫の心の中に大きな影を落とした女性・宇治の大君ですね。

宇治の大君のモデルが本当に紫式部の姉かどうかは分かりません。

が、もしも紫式部の姉を投影して想像したヒロインであったのなら、紫式部の姉に対する思慕の強さを感じさせるようにも思われます。

「姉君がもしも生きていたのなら、きっと高貴な身分の公達だって姉君に夢中になるに違いないわ」なんて思いながら宇治の大君を生み出したのかもしれません。

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