渋沢栄一の庶子たち

近世史(日本史)

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

大河ドラマ『青天を衝け』の主役・渋沢栄一。

2020年2月現在、ドラマ中ではまだまだ青年期でさわやかな彼からは想像もつきませんが、彼が妾を何人も持ち、庶子も多かったことはよく知られている話です。

ただ、渋沢栄一の庶子である、と確定している人は実はそんなにいるわけでもないんですね。実際に渋沢栄一の庶子は誰なのか、調べてみました。

渋沢栄一の庶子は何人?

渋沢栄一の庶子の数は確定されていません。

一説には20人以上とも、さらには50人とも100人とも言われています。それほど愛人の数が多かったということかもしれませんね。渋沢栄一の子孫による「渋沢同好会」は、正妻との間の子どもたちの子孫のみで形成されているそうです。

公式に認められている渋沢栄一の庶子は4人

数すら定かではない渋沢栄一の庶子ですが、公式に認められているのは4人みたいですね。

ちなみに4人目の長谷川重三郎にいたっては渋沢栄一68歳!時の子供というから驚きですね。この時にはすでに渋沢栄一には孫もいますので……。

庶子1:文子(ふみ)

母親は大内くに。渋沢栄一の最初の妻・千代の兄の子、尾高次郎に嫁ぎました。尾高次郎は東洋生命社長、武州銀行頭取となるなど、父同様に財界人として歩んだみたいですね。

庶子2:照子(てる)

母親は文子と同じく大内くにです。大内くにの産んだ子供は全員認知されているみたいですね。結構大切にされていたんでしょうか?渋沢栄一の最初の妻、千代の姉の子にあたる大川平三郎に嫁ぎました。

庶子3:星野辰雄

東京印刷社長・星野錫の養子となりました。

母親は不明のようですが、星野錫は彼以外にも2人の渋沢栄一の娘(庶子と思われる)を養女にしていたようですから、もしかしたらそれらの娘と母親は一緒だったかもしれませんね。

彼は経済人にはなりませんでしたが、立教大学教授として商法を研究していたそうです。

また、星野辰雄の妻は、異母姉(正妻千代の娘)・歌子の義理の姪(歌子の夫の弟の娘)である万亀です。

庶子4:長谷川重三郎

渋沢栄一68歳との時に生まれた息子です。母親はやはり分かりません。第一銀行頭取となりました。

第一銀行は渋沢栄一が作った会社なので、ある意味父親の会社を受け継いだといえるのかもしれませんね。ただ、銀行の合併問題にかかわって頭取を辞職することにはなりましたが……。

渋沢栄一の庶子だと言われている人

20人以上とも、50~100人以上とも言われている渋沢栄一の庶子ですが、渋沢栄一の庶子では?と言われている人の記録は、実はそんなに残っていなかったりします。

庶子:星野つる

渋沢栄一の庶子だと言われています。星野辰雄同様に星野錫の養女となり、安本明治郎(三機工業の重役か?)の妻となりました。

庶子:星野まつ

渋沢栄一の庶子だと言われています。星野辰雄同様に星野錫の養女となり、川崎甲子男(昭和銀行頭取)の妻となりました。

庶子??:柳沢喜四郎

ブラジルの桂植民地に移住したブラジル移民。この人物の父親が「青淵」という名前だと言われており、この「青淵」が渋沢栄一の雅号であることから、「庶子ではないか?」といううわさが出ました。

しかし、柳沢喜四郎自体は「父の名前は春吉で、自分は信州の農家の四男」だと語っていたそうなので、あくまでも噂レベルの話にすぎないようですね。

渋沢栄一の庶子だと言われている人は絶対にまだまだいると思うのですが、具体的に事績を調べられたのはこの3人にとどまりました。

3人目の柳沢喜四郎に至っては、どうも違う可能性のほうが高そうですしね……。渋沢栄一の庶子たちは、意外とひっそりと生きているのかもしれませんね。

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