織田信長の義弟(妹・お市の夫)であった浅井長政は、義兄信長を裏切り、かねてより浅井家と昵懇の間柄だった朝倉家につくことにします。(長政の意志というよりは、長政の父である久政の思惑だったとも言われていますが……)
そのことを察知したお市の方は、兄を助けるべく夫に勘付かれないような方法で、兄に贈り物をします。
それが「小豆袋」の逸話です。
「どうする家康」ではすでに登場人物として名前が出ているお市の侍女・阿月が「小豆(あづき=あずき)」となるのでしょうが……。
お市の方の小豆袋の逸話とはどのようなものだったのでしょうか。調べてみました。
お市の方が織田信長に送った「小豆」袋
お市の方の小豆袋の話の概要はこのような感じになります。
夫の長政が兄・信長を裏切り、亡き者にしようとしていることに気づいたお市の方。
お市の方は素知らぬ顔で、「陣中見舞い」と称して兄に小豆の御菓子を贈ると言う。
夫の長政はお市の方は何も気づいていないと油断し、許してしまう。
そして届けられたのは両端をぎちぎちに縛った小豆の袋。その異様な風体にピンときた信長。
お市の方はこの小豆の袋の両端を縛ることで、「お兄様、あなたは袋の鼠です」と伝えようとしたのだった。
そして信長は妹の意図を正確にくみ取り、負ける気配もないのにもかかわらず、軍を一気に撤退させることを決めた。
この結果、信長は間一髪浅井家に討ち取られるのを防いだのだった。
この小豆袋の逸話は『朝倉家記』に載っていると言われていますが、国立国会図書館のレファレンスを確認してみたところ、『朝倉家記』ではなく、実際のところは『朝倉義景記』下巻に乗っている話のようですね。
長政ノ北ノ方ハ信長ノ妹ナレハ此事ヲ聞玉ヒテ扨イカニモシテ信長ニ告知ラセ度思ハレケレ氏女ハ夫ニ順テ私ノ親類ナキ負節ノ道ヲ・・・(中略)・・・陣中ノ御菓子可被成候トテ袋小豆ヲ入其袋ノ跡先ヲ縄ニテ結切リ封ヲ付テ信長ヘソ贈ラレケル
引用:『朝倉義景記 下』
ただこの話、どこまで真実かは分かりません。というのも当時の同時代史料に、他にこの話はありません。
朝倉義景記の成立は後世(おそらく江戸時代ころ)のことと考えられているため、後から付け加えられた話であるとも考えられます。
朝倉義景記では信長のことを「聡明」と評するなどしていますから、信長の頭の良さを証明するために、このような逸話を挿入した可能性もありますよね。
とはいえど全くあり得ない話であったか?というとまた別の話です。
戦国時代の武家の姫君は、実家を代表する女性外交官のような役割を果たしていました。
実家に利益を与えるために同盟相手に嫁ぎ、その同盟相手の家での諜報活動を行い……ゆえに、実家と嫁ぎ先が仲たがいして手切れとなった場合、多くの姫君は実家に帰されたわけです。
例えば家康の母・お大のように。
その意味でいえば、お市の方が、嫁ぎ先の浅井家が実家、つまり兄信長を害そうとしていたことに気づけば、どうにかして知らせようとしても、まったく不思議な話ではないわけです。
侍女「阿月」と小豆袋
おそらくではありますが、「どうする家康」では小豆袋の代わりに侍女・阿月が決死の思いで信長の陣中まで浅井家の裏切りを伝えに来るのだと思います。
個人的には暗号めいた「小豆袋」のほうが、信長の頭や勘の良さ、お市の方の機転をよく示してくれるような気もしますが、これはこれでわかりやすいですからね。
名前の由来からして、阿月はこれ以後登場はないのかもしれませんね。
息も絶え絶えに陣中に駆け込み、そのまま息を引き取ってしまうのかもしれません。
もしも阿月がこのあとも登場するとしたらどうなるのでしょうね。
お市の方が柴田勝家とともに自刃した時にに殉じるのか、あるいはお市の娘・茶々(淀の方)の侍女となり、大坂城落城まで運命を共にするのか、あるいはお市の末娘・お江の侍女として江戸城に現れるのか。
どのようになったとしても面白いかもしれませんね。