阿波局 謎多き北条泰時の母

中世史(日本史)

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2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、2代目執権にして承久の乱の勝者である北条義時です。

その北条義時は何人かの女性を妻としましたが、彼の妻の中でもっとも謎に包まれているのが「阿波局」です。3代目執権となる北条泰時の母でありながら、「御所の女房」であったということしか分かっていない「阿波局」とはいったい誰なのでしょうか。

北条泰時生母・阿波局について詳しく調べてみました。

北条義時の妻たち
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北条泰時生母・阿波局の本名(名前)は?年齢(生まれた年)は?

北条泰時生母・阿波局については伝わっているのは「阿波局」という女官名のみです。本名(名前)はもちろん、年齢(生年)について何一つわかるものはありません。

ただ、北条泰時は北条義時が21歳と、かなり若い時分に生まれています。義時の妾であった阿波局は、おそらく義時とはさほど年齢の変わらない若い女性だったのではないか?とは推測されます。

阿野全成妻・阿波局との関係は?

北条泰時母・阿波局とほぼ同時代?に、実はもう一人「阿波局」と称される女性がいます。『鎌倉殿の13人』では、宮澤エマさんが演じる、頼朝の異母弟・義経の同母兄の阿野全成妻にして北条義時・北条政子の妹である「阿波局」です。

こちらの女性も本名不詳、年齢(生年)不詳の女性です。なぜこの女性も「阿波局」と呼ばれるようになったのでしょう?

女房(女官)の名前は、縁のある男性の官職等から取られることが多いですが、阿波局の夫、阿野全也成の所領(阿野荘)は駿河国にあり、阿波国とも特に関係性がなさそうです。

北条泰時の生年は、鎌倉幕府成立前の1183年(寿永二年)ですが、北条時政娘である阿波局が『吾妻鏡』などの書物で活躍するのは、頼朝の死(1199年)以降のことです。

もしかしたら、北条泰時生母の阿波局が女房(女官)をやめるなどして、阿波局を名乗らなくなった後に、義理の妹である北条時政娘(阿野全成妻)が名乗るようになったのかもしれませんね。

北条泰時生母・阿波局は徳島(阿波国)出身の女性?

阿波局、という名前からすると、徳島県(阿波国)の出身なのか?と考える人も多いでしょう。しかし、実はあまり関係ない可能性も高いです。

この当時、女性の女房(女官)名は、夫や父、兄弟、息子など所縁のある男性の官職にちなむものがほとんどでした。そのため、親族男性が「阿波守」など阿波国にちなむ称号を名乗っていただけで「阿波局」と呼ばれるようになった可能性も高いです。

また、先述の「阿波局」が、北条時政娘という、頼朝妻の妹という幕府内では高位の女性であることから考えて、幕府内の高級女房の称号として「阿波局」が使われた可能性もあるかもしれません。

たとえば後年、宮中では「伊予局」は、伊予国はもちろん、伊予守といった役職とも関係なく、命婦という女官たちのまとめ役が使う女房名として使われるようになっていました。阿波局もそういった名誉称号的なものだったのかもしれません。

北条泰時生母・阿波局は誰なのか?

謎多き阿波局ですが、彼女の父親(生まれ)については諸説残されています。

加治信実の娘?

鎌倉時代の武将・加治信実の娘が「阿波局」ではないか?という説があります。しかし、加治信実は1176年生まれです。1183年生まれの北条泰時の祖父だと考えると年代的にはかなり無理がありますよね。

もしも加治信実に姉がいたとしたら、その姉が「阿波局」となり、北条泰時を産んだ……ということは、ありうるかもしれませんね。加治信実の父・佐々木(加治)盛綱は北条泰時の元服にも関わっています。

しかし、加治信実は、源頼朝が伊豆国流罪後、古くから仕える家臣の一人で、頼朝の上洛にも随行するなどしています。それなりに立場のある頼朝家臣の娘が、北条義時の妾の立場に甘んじる……というのも不思議な感じがしますよね。

これらのことから考えても、阿波局と加治信実はおそらく関係はないかと思われます。

比企能員の娘?

二代将軍・源頼家の側室であった若狭局の父で、北条時政によって攻め滅ぼされた比企能員が阿波局の父ではないか?という説があります。

比企能員は、愚管抄では「阿波国」出身であること(同音の安房国出身という説もある)、また北条氏と敵対したことで泰時母の出自を明らかにできなかった可能性が考えられることから、そのような説が生まれたようですね。

しかし、義時正室がほかならぬ比企一族の女性・姫の前であることを考えると、阿波局が義時正室になれなかったのはあまりにもおかしいですから、この説もやや信ぴょう性は低いように考えられます。

また、比企能員は実の両親はもちろん、生まれた年も分からないような謎の多い人物ですが、三浦氏と関係性があったのでは?と言われていますから、阿波国よりは、安房国出身と考えた方が自然でしょう。

佐伯氏の娘?

北条義時のお墓は、伊豆国の北條寺にあります。義時の墓の隣には藤原朝光娘(伊賀朝光娘)こと義時後妻・伊賀の方のお墓があるのですが、なぜかこのお墓は「後妻・佐伯氏の墓」とも伝わっています。

伊賀局は藤原氏ですから、佐伯氏ではありません。では佐伯氏というのはいったいどこから出てきたのでしょう……?

佐伯氏は古代に栄えた一族ですが、佐伯氏の一部は、播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波国に広まっています。例えば、平清盛と関係の深い厳島神社の神主一族も佐伯氏です。佐伯氏は古代豪族ではありましたが、平安末期でも現地の有力者としてふるまっていたようです。

阿波国の佐伯氏出身の女性が、鎌倉に上って、御所に仕えるようになった……というのは十分にありうるストーリーのような気もしますね。

とはいえど、北条泰時生母・阿波局が本当に佐伯氏であったかは何の確証もありません。

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