榊原康政の妻(正室、側室)たち

中世史(日本史)

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

初代舘林藩主にして、徳川三傑・徳川四天王・徳川十六神将すべてに名を連ねる家康の功臣といえば、榊原康政です。

おそらく2023年の大河ドラマ『どうする家康』においても、彼はキーとなるのではないでしょうか?

そんな榊原康政の妻(正室、側室)について調べてみました。

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榊原康政の正室:大須賀康高の娘

榊原康政の正室は、酒井氏の家臣であった大須賀康高の娘です。

榊原康政はこの舅とかなり関係が深く、大須賀康高が酒井忠尚から徳川家康にと主君を変えているのと同時に、主君を家康に変えています。

大須賀康高の娘は、榊原康政の長男である大須賀忠政(父大須賀康高の大須賀家を相続)、次男の榊原忠長(榊原康政の嫡子として後継者扱いでしたが早世)、酒井忠世正室の聖興院の三人の子を産んでいます。

父の康高には男子(信高)がいましたが、なぜかこの男子は家を継ぐことなく、大須賀康高娘所生の榊原康政長男・大須賀忠政が大須賀家の後継者となりました。

大須賀康高娘の没年は不明ですが、おそらく1580年代に父に先立って早世したかと思われます。

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榊原康政の側室:花房氏

榊原康政の側室には花房氏の娘がいます。

父親は不明ですが、出身士族である花房氏は、美作国に土着して零落はしていましたが、清和源氏の家柄で、足利氏、足利氏の古河公方などにつながる名門ではありました。

側室である花房氏ですが、事実上榊原康政の継室のような立場にありました。

花房氏は、榊原康政の三男で、彼の後継者となった榊原康勝を産みました。

またもしかしたら、姫路藩主池田利隆に嫁いだ鶴姫(福正院)も、花房氏の所生かもしれません。

榊原康政は花房氏の親族を養子に取り立てています。このあたりも、康政が花房氏を相当大事にしたのだろうと感じさせますね。

花房氏の姪の松月院は康政養女として、足利氏の古河公方の血筋をひく喜連川義親に嫁いでいます。

また花房氏の親戚である花房職直も養子として、榊原姓を許され、旗本となりました。

花房氏は承応2年(1635年)に亡くなりました。法名は周光院殿葉誉青荷大姉。息子の康勝に先立たれた後のことでした。榊原康政の墓所に同じく葬られています。

花房氏所生の榊原康勝は正室(加藤清正娘・古屋)との間に後継者を残すことなく早世しましたが、その遺児(庶子)が旗本に取り立てられ、その家系出身の榊原政邦が、のちに本家である榊原家を相続しました。

榊原康政の側室?:辻の方(お辻)

榊原康政の伝承上の側室として、お辻(辻の方)なる女性の名前が伝わっています。

お辻は舘林藩主・榊原康政の寵愛を一身に集めていましたが、そのことで康政の他の側室たちの嫉妬を集めてしまいます。

嫉妬による嫌がらせに耐えかねたお辻は、次女のお松とともに舘林の城沼に身を投げてしまいます。

お辻をしのんだ康政は、城沼に大量のつつじの花を植えたといいます。「辻」の名の通り、つつじのような華やかな美貌の女性だったのでしょう。

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