マッサゲタイ女王トミュリス~アケメネス朝ペルシャ・キュロス2世を殺した女~

オリエント

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

2022年冬季オリンピックが始まりましたが、カザフスタンの選手団の女性旗手の衣装が可愛いと話題になっていますね。

彼女の衣装のモデルとなっているのが、古代スキタイのマッサゲタイという部族の女王であった「トミュリス」という女性です。

トミュリスの名は、人類史初の世界帝国とも言われるアケメネス朝ペルシャの創始者・キュロス2世を戦死に追い込んだ女として、ヘロドトスの『歴史』の中で紹介されています。

そんなマッサゲタイ女王トミュリスについて調べてみました。

女王トミュリスの夫と子供

トミュリスは最初から女王だったわけではありません。トミュリスはマッサゲタイの王と結婚した後、その夫が先に亡くなってしまったため、夫の跡を継いで女王になったといいます。

トミュリスの夫がどのような人物だったのかは分かりません。とりあえず、マッサゲタイの王であったことのみがわかっています。

マッサゲタイ人は一妻多夫制(「妻を共同に使用した」とヘロドトス『歴史』中にあります)でしたから、もしかしたらトミュリス女王にもマッサゲタイの王以外にも夫がいたかもしれませんね。

トミュリスはマッサゲタイの王との間に、スパルガピセスという息子を1人儲けています。

このスパルガピセスは、マッサゲタイの軍の将軍でした。(この子供がなぜ王位を継いでいなかったのかは疑問ですが、相当若かったのかもしれませんね。)

ちなみにスパルガピセスという名前は、スキタイの別の部族であるアガテュルソイの王・スパルガペイテスと語源が一緒かも?と言われています。

スパルガピセスの意味は不明ですが、王族に良く使われた名前だったのかもしれませんね。

トミュリスに、スパルガピセス以外に他に子供がいたかは分かりません。

トミュリスとアケメネス朝ペルシャ・キュロス2世

女王トミュリスのもとに、ある日アケメネス朝ペルシャの王・キュロス2世からの使者がやってきます。

キュロス2世は女王トミュリスに求婚します。キュロス2世はトミュリスと結婚することで、マッサゲタイの王位を得ようとしたのです。(当時大王キュロス2世は、妻カッサンダネに先立たれて男やもめでした。)

しかし、トミュリスはキュロスの目論見に気づき、断ります。その後、マッサゲタイとペルシャは敵対関係に陥ります。

キュロス2世は配下のクロイソス(元リュディア王で、リュディア滅亡後キュロス2世の家臣となっていた)の献策を受け入れ、豪勢な食事や酒でマッサゲタイ軍を油断させ、マッサゲタイ軍を蹴散らしました。

さらに、トミュリスの息子・スパルガピセスを生け捕りにすることに成功します。

トミュリスは息子を救おうとしますが、捕虜となったことを恥じたスパルガピセスは自害して果てました。

夫に引き続き、息子を失ったトミュリスに残されていたもの―それは、復讐のみでした。

トミュリスはマッサゲタイ軍を立て直し、自らの持てるすべての軍事力を持ってペルシャ軍に襲い掛かりました。

長時間の激戦の末、マッサゲタイ軍は勝利、ペルシャ軍の大部分が虐殺されます。-その中に、キュロス2世がいました。

トミュリスはペルシャ兵の血で満たされた革袋を持ち、キュロス2世の首をその中に投げ入れるとこう言いました。

私は生き永らえ戦いにはそなたに勝ったが、所詮はわが子を謀略にかけて捕えたそなたの勝ちであった。さあ約束通りそなたを血に飽かせてやろう。

引用:ヘロドトス『歴史』

女王の感じている虚しさのようなものが伝わりますね。

女王トミュリスの語ったように、キュロス2世を失った後もペルシャは拡大を続け、キュロス2世の親族であるダレイオス1世の時代に最盛期を迎えることになります。

トミュリス女王のその後は分かりません。

マッサゲタイ族はその後も続き、アケメネス朝ペルシャ滅亡後、アレキサンドロス大王の時代にもその名前は出てきます。

トミュリス女王はなぜ強いのか

トミュリス女王はなぜ当時としては最強格で、相次ぐ遠征にも勝利し続けてきたペルシャ軍を打ち破ることが出来たのか?

それはひとえに女王、そしてマッサゲタイ人たちの復讐心の強さもあったのかもしれません。

ただ、キュロス2世がもともとトミュリス女王との結婚でマッサゲタイを傘下に収めようとしていたことを考えると、マッサゲタイ自身の強さはかなり知れ渡っていたことだと思われます。

マッサゲタイはスキタイ人であるとも言われていますが、彼らはいわゆる騎馬民族で、騎兵と歩兵を要していました。

さらに弓兵、槍兵も存在するなど、いわゆる蛮族的な印象とは異なり、組織化された軍隊を持っていたようです。

この軍隊こそが、トミュリス女王の強さの理由なのかもしれませんね。

トミュリス女王のいたマッサゲタイはどのような場所にあったのか

さて、マッサゲタイという国は現在は存在しません。この国はカスピ海の東側、コーカサス地方にあったと言われています。

ただ彼らはもともとコーカサスにいたわけではなく、東、つまりアジアの草原地帯からやってきたといいます。

ちなみに、「マッサゲタイ」という名前は、「マッサ」が「大きい」という意味があることから、中国史における謎の遊牧民族、「大月氏」の前身である「月氏」になぞらえられることもあります。

もしも彼らマッサゲタイが中国において「月氏」と呼ばれていた遊牧民族だとしたら、東方からやってきたというのも確かに間違いではないですね。

トミュリス女王の信じた宗教

神として崇敬するのは太陽だけで、馬を犠牲に供える

引用:ヘロドトス『歴史』

スキタイ人はギリシャ由来の神々を信仰し、特にかまど女神ヘスティアーを信仰しましたが、マッサゲタイは太陽(おそらくギリシャ神話におけるへーリオス)のみを信仰したといいます。(一応他の神の存在自体は知っていたようですが、熱烈に信仰していたのは太陽神のようです。)

スキタイ同様、マッサゲタイにも生贄の儀式があったようで、マッサゲタイの場合は馬のみをささげました。

太陽は神々の中で最も足が速いので、動物の中で最も足の速い馬を供える、という理屈だったようです。

マッサゲタイ族の主なる日の神に誓っていうが、血に飽くなきそなたを血に飽かせて進ぜよう。

引用:ヘロドトス『歴史』

女王トミュリスにとっても太陽神は特別な存在だったようで、彼女が太陽神に誓いを立てた場面がヘロドトス『歴史』の中には存在します。

トミュリスの名の意味

トミュリス、という名前は、実はこの勇敢なるマッサゲタイの女王の本名ではない可能性が高いです。

というのも、まず「トミュリス」自体がギリシャ語の名前なのです(彼女の名前が出てくるヘロドトス『歴史』自体がギリシャ語の書物ですからね。)。

ではトミュリスがどこからきたかというと、ペルシャ語の「タハムリーシュ」から。タハムリーシュ、という名前は「勇敢な」を意味する「タハム」に、首長を意味する「ライ―ス」を変形させて組み合わせた名前だと考えられます。

そう、この名前自体がペルシャ人たちが、我らがキュロス大王を討った女王の武勇に敬意を込めて「勇敢な女王だ!」と彼女のことを伝えたことに由来するものなのですね。

おそらく「トミュリス女王」として知られている女性の本当の名前は、別にあったことでしょう。

古代エジプト謎の女王 ニトクリス(ニトケルティ)
(彼女は)兄の跡を継いだ。彼はエジプト王で、臣下に暗殺された。その後、王を亡きものにした臣下たちはこの女性を王位につけた。殺された兄弟の仇を討つことを決意した彼女は、狡猾な方法を考え出し、膨大な数のエジプト人を抹殺した。 ヘロド...

 

タイトルとURLをコピーしました