北条義時と八重姫は結婚したのか?

中世史(日本史)

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、注目されているのが、新垣結衣さん演じる八重姫と、小栗旬さん演じる北条義時の関係の行く末でもあります。

2022年1月末時点では、八重姫はまだまだ大泉洋さん演じる頼朝に未練がある上、江間次郎と再婚しているため、二人の関係は進展しそうにないですが……。

実は、北条義時と八重姫は結婚していたのでは?という説もあるそうで……。

北条義時と八重姫の結婚説について調べてみました。

八重姫はどんな人だったのか?その生い立ちと悲しい最期
源頼朝の妻として有名なのは北条政子ですが、実は頼朝は政子と結婚するよりも前に、別の女性と結婚していたという伝承があります。(『吾妻鏡』などの鎌倉幕府・北条家公式の記録には特に残されていないのですが……) 頼朝最初の結婚相手として伝わるのが、...

義時と八重姫の関係は叔母甥もしくはいとこで親戚

北条義時と八重姫には、血縁関係があったと言われています。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時の母は伊東祐親の娘であるため、八重姫と北条義時の関係は叔母甥になります。

史実でも、北条義時と八重姫は親戚だったと言われています。

北条義時の母は伊東祐親の娘とも、伊東祐親の妹(伊東祐家の娘)とも伝わっており、前者であるなら八重姫と義時は叔母甥、後者であるならば八重姫と義時はいとこ同士ということになりますね。

いとこ同士は現在でも結婚できますが、叔母甥の結婚というと、現代では法律的には禁止されていますね。

ただ平安時代末期~鎌倉時代はまだまだ叔母甥同士の結婚は認められていました。

たとえば皇室でいえば、後白河天皇の息子・二条天皇は、後白河院の異母妹である高松院と結婚を果たしています。

義時と八重の結婚説

北条義時と八重姫の結婚説には、大まかに分けて2つの説があります。また、その2つの説を折衷した形の説もあります。それらについてまとめてみました。

①:江間領を継いだ義時が江間次郎(江間小四郎)未亡人の八重姫と結婚

北条義時は吾妻鏡において「江間」と称されているように、八重姫の再婚相手である江間次郎(江間小四郎)が源平合戦で亡くなった後に、江間次郎(江間小四郎)の所領を継いだことが知られています。

その際に、江間次郎(江間小四郎)の幼い子供を養育した……と言われていますが、同時に、江間次郎(江間小四郎)未亡人の八重姫と結婚した!という説があります。

平安末期~鎌倉時代は、まだまだ女性が土地を相続することもあったので、おそらく江間次郎の土地を八重姫が相続し、それを再婚相手の義時が相続する、という形だったのかもしれませんね。

ただこの場合、八重姫と義時の間に子供がいたのかは判然としません。義時には生母不明の子も何人かいますので、あるいはその子たちの母親が八重姫だったのかもしれませんね。

②:八重姫=阿波局(北条泰時生母)説

北条義時の庶長子にして後継者となった北条泰時は、御所の女房であった阿波局なる女性を母としていたといいます。

この阿波局を、八重姫と仮定する説があります。

ただこの場合、果たして北条政子が、夫頼朝の前妻が御所に出仕することを許すのか……?という問題もありますね。

また八重姫の父・伊東祐親はあくまでも頼朝と敵対していますから、敵対した家の娘が女房になれるのか?というような気もします。

ただもしも八重姫=阿波局なら、もしかしたら政子が、八重姫と頼朝がよりを戻さないように、弟の義時をけしかけた……のかも?

③:①+②説

①と②を組み合わせたような説もあります。

江間次郎(江間小四郎)未亡人八重姫と北条義時が結婚して、義時は江間領を相続、さらに八重姫は御所に出仕して「阿波局」と名乗り、北条泰時の母となった……という説ですね。

北条義時と八重姫結婚の証拠はあるのか?

北条義時と八重姫が結婚したという説には、これといって根拠や証拠はありません。

そもそも八重姫という女性自体が、実在性が怪しい人物でもあります。(『吾妻鏡』などの公的記録、当時の日記類には一切登場せず、登場するのは『曽我物語』などの創作性も高い物語です。)

北条義時は果たして、伊東祐親の娘にして、源頼朝の妻だった女性・八重姫と結婚したのか?

その答えが出ることはしばらくないでしょう。

タイトルとURLをコピーしました