新元号が発表されましたね。「令和」。
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす
典拠は万葉集の序文からだそうで。
大友旅人の家での風景を語った序文だそうです。
どことなく蘭亭序を意識しているような……?
天朗氣清,惠風和暢
『蘭亭序』
このくだりとか少し似ているような気がします。
ちなみに「令月」自体は陰暦2月のことだそうです。ですのでこの序文自体は昔の春=ほぼほぼ現代の冬の情景を描いたものなんでしょうね。
さて、今回の序文の典拠となった万葉集の編者は大友家持、といわれていますが。実は確定しているとも言えません。
というか家持一人で作ったのか……?とも言われていますし。
万葉集は大伴家持が作ったのか?
最終的な編纂者はやはり大伴家持でしょうと言われています。
万葉集最後の和歌は大伴家持の和歌ですしね。ただ根拠は正直そのくらい。(あとは大友坂上郎女など大伴氏の歌人が多く入っていることなんかもしいて言うなら根拠でしょうか。)
ただ、『古事記』には太安万侶の序文が入っていますが、『万葉集』の序文はそもそも誰が書いているのかもよくわからないのです。(つまり今回の元号の由来となった文章も誰が書いたのか正直分かりません。内容的には大伴家持が書いたのではとも思いますが。)
ですから編者もよくわかりません。
万葉集の中では同じ人を「天皇」「大上天皇」などと別々の呼び方をしているので、その時代その時代編纂されているものをあとでまとめたのではないか、とも言われています。
実際に成立するまでには多くの人の手が入っているようです。
手を加えたのではないか、と言われている人は例えば……
大伴坂上郎女
家持の叔母で、家持妻の母(大伴家持はいとこ婚をしています)に当たる女性です。
穂積皇子、藤原麻呂、大伴宿奈麻呂と多くの人と関係を持った恋多き女性ですが、異母兄で大伴氏総領の立場にあった旅人とともに、大刀自として大伴氏を支えました。
また彼女の和歌は多く万葉集に採用されています。
柿本人麻呂
続日本紀等の史書には一切経歴の残っていない謎の人物。
多くの和歌が万葉集に採用されており、草壁皇子(持統天皇息子)・高市皇子・明日香皇女らの挽歌なども歌うなど、当代随一の歌人として重用されていたようです。
彼の活動のほとんどは持統天皇朝であり、持統天皇在位中は中央にいたようですが、それ以後は地方官を歴任したようです。
持統天皇
万葉集の初めは雄略天皇ら古代の大王から始まることから。
持統天皇は天武天皇から引き継いで『古事記』編纂にかかわっていたことから、必然的に古代の大王の和歌にはくわしかったかと思われます。
また柿本人麻呂を重用していたことからも、万葉集に関与していてもおかしくはない人物です。
こういった人々がかかわっているのではないかと言われています。
万葉集と梅の花
平安時代以降の「花」といえば桜ですが、万葉集の時代の花は「梅」でした。今回の改元の典拠でも
梅は鏡前の粉を披き
と梅の花について話されていますね。
ただ万葉集で一番多く歌われている花は梅ではなくて、実は「萩」なんだそうです。萩は秋の七草の代表格ですが、少し意外な感じもしますね。
ちなみに今回の典拠となった序文は、「大伴旅人の家で客人たちが梅の歌を詠む宴会をした」ということについて書かれています。
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
主人の大伴旅人が詠んだ歌です。新春と言っても実際は冬、雪と梅のコントラストを、昔の人は楽しんだのでしょう。
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