桜と日本人の歴史

日本史

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桜もあと少しで咲く時期になりましたね。
日本人は桜が大好きですが、なぜにここまでに桜が好きなのでしょう。

日本人と桜の関係について調べてみました。

桜と田植え

春、それは古代の人々にとって稲作を開始する時期です。
ゆえにその春の訪れをつげる桜は「神木」として扱われてきました。
そもそも「サクラ」という名前が、田植えの神「サ神」の「サ」+神様の台座を意味する「クラ」から成り立つともいわれています。
桜は非常に神様とのかかわりが深いとされる木であるのです。

桜の女神?コノハナサクヤビメ

古事記に出てくる女神で、神武天皇の曾祖母に当たる女性です。彼女の父は、コノハナサクヤビメと結婚した瓊瓊杵尊に、こう言っています。

而獨留木花之佐久夜姬 故今後天神御子之御壽者 將如木花之稍縱即逝矣 

『古事記』より

コノハナサクヤビメと瓊瓊杵尊の間に生まれる子供は「花の命のように儚くなるだろう」ということです。

風雨で一瞬のうちに散っていく桜の花を指しているようではないでしょうか。

ちなみに彼女の姉妹には「木花知流比売」なる女神がいたりします。文字通り「桜の花が散る」という意味合いの名前でしょう。
この女性はスサノオノミコトの息子と結婚し、その子孫には大国主命がいます。

花と言ったら「桜」 平安時代

願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

『新古今集』雑下(異本より)

こう歌った西行法師は、その願い通り旧暦2月16日、釈尊涅槃の日に亡くなったといわれています。

奈良時代までは「花」と言えば梅で、万葉集でも桜をうたう歌よりも梅の花を歌った歌が多く残されています。
しかし平安初期、嵯峨天皇が「観桜会」を開いたのを皮切りに、梅よりも桜の花が人気になっていきます。
嵯峨天皇の子である仁明天皇は、桓武天皇以来の左近の梅を桜に植え替えました。

また桜の花の散りゆくさまは「諸行無常」という仏教観にもなぞらえられました。

吉田兼好は「徒然草」の中で

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。

『徒然草』より

と述べており、この時代でも桜(=花)はもてはやされていたようです。

その後の桜

時代は下がり安土桃山時代、豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植えさせ、1598年4月20日に近親の者や諸大名を招き「醍醐の花見」と呼ばれる宴を開きました。
大名や豊臣家につかえる者たちによる出店が出るなど、とても盛大なものだったようです。

江戸時代には河川の護岸として各地で堤防に桜が植えられました。また品種改良も大いに進んだ結果、現在の桜の代表品種であるソメイヨシノが生まれました。

桜の開花からわかること

過去の平安貴族の日記から、桜が大体どの時期に開花したかがわかります。
その日付の変動から、当時の気候を推測する……なんてこともできます。
ちなみにそれによると、どうも平安時代は今よりもやや温暖だったようで、逆に鎌倉~室町時代はやや寒かったようです。

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