古代史(日本史)敦康親王の妻と娘 一条天皇と皇后・定子の間に生まれた第一皇子・敦康親王。 天皇の正妻腹の第一皇子という立場でありながら、時の権力者・道長の孫である異母弟たちが帝位にのぼったため、彼自身は結局高御座に座ることなく、若くしてその生涯を終えました。 そんな敦康親王... 2024.03.13古代史(日本史)
中世史(日本史)穴山信君(穴山梅雪)の妻と子と子孫たち 甲斐武田家の滅亡には様々な要因がありましたが、その一つが家臣の裏切りでしょう。 武田二十四将の一人であった小山田信茂、信玄の三女・真理姫の夫であった木曾義昌らの裏切り……そして、同じく信玄の次女の娘婿であった穴山信君(梅雪)の裏切りもまた、... 2023.06.06中世史(日本史)
中世史(日本史)松平勝俊(松平康俊・久松勝俊)の妻(正室)と娘 家康の異父弟(母・於大の方が久松長家との間に儲けた子たち)たちは三人まとめて「久松三兄弟」と言われたりします。 彼らは家康の兄弟として厚遇され、彼らの娘たち(家康の姪)たちは、家康の養女として様々な大名家に嫁ぎました。 長男の男系はあまり栄... 2023.04.26中世史(日本史)
中世史(日本史)三浦胤義の妻(正室、側室)と子と子孫たち 承久の乱において、京方についた武将の代表格が三浦胤義です。 彼は「鎌倉殿の13人」こと13人の御家人の一人・三浦義澄の末子、かつ三浦義村の同母弟(異母弟の可能性もありますが……)という非常に鎌倉幕府の中枢に近い身の上でありながら、承久の乱時... 2022.10.12中世史(日本史)
中世史(日本史)鎌倉幕府第六代将軍・宗尊親王の妻(正室、側室)と子供たち 鎌倉幕府の将軍は源氏将軍が3代で絶えた後、頼朝の妹の子孫である摂家の子息を将軍としていました。 しかし、四代目将軍・藤原頼経、そしてその息子の5代目将軍・藤原頼嗣はいずれも若いうちに将軍位を追われ、京へと追放されます。 新たに鎌倉幕府が迎え... 2022.09.19中世史(日本史)
中世史(日本史)徳姫(五徳・おごとく)家康の妻と子を奪った信長の娘 家康の人生においては数多くの別れがありましたが、その中でも家康にとってかなり苦しい別れとなったのは、正室・築山殿と嫡子・元康を見殺しにする羽目になったことだったでしょう。 特に元康の死は相当堪えたようで、晩年、元康の死にかかわった徳川四天王... 2022.07.18中世史(日本史)
中世史(日本史)久松長家(俊勝)の妻(正室、継室、側室)と子と子孫たち 2023年の大河ドラマ『どうする家康』にて、リリー・フランキーさんが演ずることでも話題となった、家康の継父(母・お大の方の再婚相手)が久松長家(後に俊勝)です。 坂部城主、また家康の継父として家康とも協調して活動していた彼と家康の関係はなか... 2022.07.18中世史(日本史)
中世史(日本史)名越朝時の妻(正室、継室、側室)と子たち 北条義時とその正室・姫の前の長男として生まれながらも、父の後継者になれなかったのが、義時の次男にあたる名越(北条)朝時でした。 祖父にあたる北条時政の名越邸を相続するなどしており、おそらくその将来を嘱望されていたにもかかわらず、彼は兄泰時に... 2022.06.14中世史(日本史)
古代史(日本史)蘇我蝦夷・入鹿親子に子孫はいるのか? 645年、大化の改新に先立つ乙巳の変にて、蘇我本宗家の大臣・蘇我入鹿が暗殺されました。 その後、入鹿の父親である蝦夷も、蘇我家の大量の宝物、また『天皇記』といった歴史書らを道連れに、館に火を放ち自害しました。 さて、これにて蘇我稲目以来、四... 2022.05.06古代史(日本史)
中世史(日本史)平知盛の妻と子と子孫たち 平家の総領・宗盛の同母弟で、平家軍の支柱であった新中納言・平知盛。 兄である宗盛がどちらかというと情けない描写が多いのに対し、弟である知盛は「碇知盛」など、かっこいい描かれ方をすることが多いですね。 そんな平知盛の妻と子供、そして子孫はいる... 2022.05.04中世史(日本史)