承久の乱

中世史(日本史)

山田(泉)重忠~承久の乱・京方唯一の英雄にして後鳥羽院を臆病者と罵った男~

承久の乱では、後鳥羽院側、つまり京(宮)方の武将はことごとく敗北を喫しました。しかしその中で、唯一といっていいほどの活躍をしたのが、尾張国の武将・山田(泉)重忠でした。 承久の乱の英雄の一人と言っていい山田(泉)重忠について、紹介していき...
女院

まるで春の夜の夢の如し 修明門院藤原重子

後鳥羽上皇は多くの女人を愛しましたが、おそらく彼が最も愛した、と言えるかもしれないのが、修明門院・藤原重子です。 実は平家の血をひいているこの女性は、後鳥羽上皇の寵愛の元多くの栄華を手にするものの、承久の乱ですべてを奪われることとなります...
女院

大天狗と楊貴妃の間に生まれた女領主 宣陽門院覲子内親王 

史上初の「宣下の根拠(天皇の皇后、天皇の准母など)を持たない」女院となったのが、後白河院の第六皇女・覲子内親王です。 他の姉妹たち(殷富門院、式子内親王など)はいずれも成人してかなり期間がたってからの女院宣下、准三宮宣下などを受けているこ...
中世史(日本史)

亀菊  承久の乱の遠因となった美女

鎌倉時代前期、後鳥羽上皇は幾人かの白拍子を寵愛していました。 白拍子というのは、男装して踊る舞姫で、望まれれば夜を共にする、遊女に近い女性でした。平家物語の祇王や仏御前、源義経の妻静御前なども白拍子です。 滝、石、舞女姫法師といった白拍...
女院

人生万事塞翁が馬 七条院 坊門(藤原)殖子

彼女の人生は、おそらく息子が皇位について以後は安穏な時期が多かったのではないでしょうか。 そして息子が失脚した後は、今度は別の息子が治天の君となりました。 故に彼女は尊重され続けました。―たとえ、二度と我が子に会えなくても。 彼女の子...