日本史

中世史(日本史)

女帝になった……かもしれなかった 八条院 暲子内親王

今回お話しする八条院 暲子内親王は、もしかしたら女帝になっていたかもしれない人物です。 日本において女帝は古代、飛鳥~奈良時代に、6人(もしかしたら「中皇命」含め7人かも)と、時代は下がって江戸時代、とある事情によってやむかたなしに生まれ...
中世史(日本史)

「大天狗」の姉 上西門院 統子内親王 その生涯について

上西門院 統子 本名恂子大治四五改之 二条准母鳥羽第二女 母大納言公実卿女待賢門院 大治元八十七為内親 年一 就別当権中納言実行 同二四六准三宮二 同日為賀茂斎院 同三五七 着袴三  天承(長承?)二六二十九退下 依病也 年七 ...
女性史

津田梅子 女子英学塾(津田塾大学)を開いた、意思を持つ女性教育家

新5000円札の人物が決まりましたね。 津田梅子。 我が国初の女子留学生として、わずか8歳!で渡米した人物で、帰国後、のちに津田塾大学となる「女子英学塾」を開きました。 彼女の生涯や人物像について、調べてみました。 ...
中世史(日本史)

父と夫がまさかの…… 皇嘉門院 藤原聖子 その生涯について

皇嘉門院 藤聖子 崇徳后 近衛准母 法性寺関白第一女 母大納言宗通卿女従三位藤宗子 大治三十一九 叙従三位 八 同四正十一六為女御 九 同五二二十一 為中宮 永治元十二二十七為皇太后 天皇即位日年 二十一 久安六二二十七甲戌 院号二十九 保...
中世史(日本史)

強かなる平安シンデレラガール 美福門院 藤原得子 その生涯について

今までの記事の中で「鳥羽天皇の寵姫」としてのみ登場してきた彼女。寵姫の名前にたがわず美しく、そして鳥羽院政期を翻弄し、そして、もしかしなくてもその後約700年続く、武家の時代の幕開けに一役買った、日本史になくてはならない存在の女性です。政治...
古代史(日本史)

『令和』の由来と万葉集

新元号が発表されましたね。「令和」。初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす典拠は万葉集の序文からだそうで。 大友旅人の家での風景を語った序文だそうです。どことなく蘭亭序を意識しているような……? 天朗氣清,...
中世史(日本史)

優雅なる流され人生 高陽院 藤原泰子 その生涯について

高陽院 藤泰子 本名勲子 依衆難改之 鳥羽后 知足院関白一女 母右大臣顕房公女従一位源師子 長承二六十九入上皇宮 三十九 同三三二 従四位下准三宮 四十 于時女勲子 十九日為皇后宮 于時泰子 保延五七二十八丙午院号 四十九 同七五五為尼 清...
中世史(日本史)

二人の帝王を股間に弄す 待賢門院 藤原璋子 その生涯について

タイトルは『飛燕外伝』趙合徳の言葉より 。彼女の生涯を表すのに、これほどふさわしい言葉はないように思います。彼女の美しさゆえに帝王(達)はゆらめき、そしてそれがためにいろいろな疑惑、事件が起こりました。平安末期、院政期の怪しい雰囲気の中で...
中世史(日本史)

「明智光秀の母」は果たして殺されたのか?

明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか?日本史上に残る最大級の謎ではないでしょうか。そしてその理由は多く語られていますが、その中の一つに、こんなものがあります。明智光秀は丹波を平定する際に、自分の母親を、丹波の戦国大名波多野氏に、人質として...
中世史(日本史)

愛された薄命の少女 郁芳門院 媞子内親王 その生涯について

郁芳門院 媞子 堀川准母 白河第一女 母右大臣顕房公第一女中宮藤賢子 京極関白養女 承保三八十六 為内親王年一 承暦二三十六准三宮三 同八二為伊勢斎宮 応徳元九九退下 年九依母后御事也 寛治五正二十三為中宮 年十六当今養母同母義 同七正十九...