戦国を代表する悲劇の美少年・不破万作

中世史(日本史)

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

戦国三大美少年(天下三美少年)といえば、出雲阿国との関係性でも知られる名古屋山三郎、蒲生氏郷、石田三成に仕えた浅香庄次郎(浅香左馬之助、水野庄次郎)、そして不破万作でしょう。

不破万作は歌舞伎においては名古屋山三のライバル・不破伴左衛門として描写されるなど、大衆文化でも愛されてきました。

しかし不破万作自身の実情はよく分かっていないことも多く……。

ここでは、戦国三大美少年・豊臣秀次小姓不破万作について調べてみました。

不破万作は尾張国出身で父母兄弟については不明

不破万作は天正六年(1578年)尾張国に生まれたと言います。

不破万作の両親(父、母)については何もわかっていません。兄弟姉妹がいたかどうかも分かりません。(同じ戦国三大美少年でも、名古屋山三郎は家族について分かっています)

不破、という苗字や尾張国出身であることから考えると、おそらく彼は美濃国に勢力を持っていた武家の一門・美濃不破氏の出身ではないかと思われます。

美濃不破氏は美濃国の斎藤道三や、尾張の織田信長の家臣であったことが知られています。

不破万作が生まれたときはすでに織田氏家臣として一族の多くが仕えていたのではないでしょうか。

信長家臣であった美濃不破氏の一族は江戸時代には前田氏家臣として加賀に赴いていますから、もしかしたら加賀藩家臣不破氏には、不破万作の父母兄弟もいたかもしれません。

ただ不破万作と豊臣秀次の関係性を考えると、不破万作の家族も連座している可能性もありますが……。

不破万作は豊臣秀次の小姓

日本に隠れなき美少年雪よりも白き肌をば押し発き。初花の漸綻ぶる風情なるを嵐の風に吹散さるる気色

引用:『石田軍記』

不破万作が4歳になるころには、織田信長は本能寺の変で死を遂げ、豊臣氏の世へと移っていきます。

万作がいつのころから豊臣秀吉の甥にして養子、後継者であった秀次に仕え始めたのかは分かりません。

ただ父母の名すら定かでない武士の息子でありながら、小姓として秀次のそばに仕えることを許されたのは、おそらく彼の美貌あってのことでしょう。

少年期に差し掛かった不破万作は、雪のように白い肌をした美少年でした。

豊臣秀次は多くの女性を側室としていた(30人余りとも)と伝わります。

多くの女性を妻としたという点は叔父の秀吉と似ています。

しかし、秀吉は男色をついぞ好まなかったといいますが、秀次はそうではなかったようですね。

秀次は万作を非常に寵愛したと伝わります。

不破万作と小笠原秀政

美少年で知られた不破万作ですが、不破万作を愛したのは豊臣秀次だけではありません。

万作は老若男女問わず、とにかくモテました。

なんと彼を愛した人には、家康の孫娘・登久姫の婿であった下総国古河藩主・小笠原秀政までいます!

不破万作と小笠原秀政が出会ったとき、すでに秀政は登久姫と結婚していたはずですが……。

秀政は自分より9つ年下の美少年不破万作にすっかりメロメロになってしまいます。

秀次の寵愛を受けていることは分かっていましたが、果敢にもアタックします。

しかし不破万作は、「あなた(秀政)の気持ちにも答えたいですが、私には関白様(秀次)がいますので……」と穏やかに断ったそうです。

不破万作のその後~不破万作に子孫はいるのか~

さて、多くの人に愛されていた不破万作ですが、運命はある日急転しました。

不破万作の主人である秀次が、養父である秀吉によっていきなり断罪されてしまい、高野山に蟄居させられてしまうのです。

不破万作は同僚の小姓である山本主膳、岡三十郎らとともに秀次と高野山に入ります。

秀次は出家しますが、秀吉は容赦ありませんでした。秀次に求められたのは自害―介錯人として、福島正則らが派遣されました。

秀次は従容として自害を果たすことを受け入れました。そして―不破万作もまた。

不破万作は名刀・鎬藤四郎を雪のように白い柔肌につきたてます。その首を、秀次は一刀に切りおとしました。

不破万作この時17歳だったと伝わります。

不破万作の遺骸は、豊臣秀次やともに殉死した小姓、家臣たちとともに高野山の奥の院に葬られたそうです。

元服前であったと思われる不破万作には、妻子はいませんでした。

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