ジャンヌ・ダルクと呼ばれた女性たち

世界史

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

ジャンヌ・ダルク……フランスのために戦いながらも火刑に処された悲劇の英雄。そんな彼女に例えられる人たちについて調べてみました。

ジャンヌ・ダルクの先駆け?徴姉妹  = ベトナムのジャンヌ・ダルク

かつて、現在のベトナムは中国(漢)に支配されていました。

そんな中、西暦40年から43年にかけて現在のベトナム北部で起こった内乱の首謀者、それが徴姉妹です。

彼女たちは(おそらく)ベトナム現地社会の有力者の娘として生まれ、そして漢の圧政に立ち向かうべく、反乱を起こしました。

しかし最後は半ば味方に裏切られるような形で、姉妹は捕えられ、斬首されてしまいます。

次はジャンヌ・ダルクのちょっと後の時代から

鶴姫=瀬戸内のジャンヌ・ダルク

注)実在していない可能性もある女性です

瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の大宮司・大祝安用の娘で、たびたび大三島に侵攻した周防の大内氏の軍勢に対して兵を率いて立ち向かい、交戦してこれを撃退したと言われています。

しかし戦の中で、恋人を失った鶴姫は、その後を追って自殺した……と言われています。

大山祇神社の所蔵する紺糸裾素懸威胴丸という女性用の鎧?があるのですが、それは鶴姫の使った鎧なのでは、とも言われていますね。

ラクシュミー・バーイー=インドのジャンヌ・ダルク


インドの小王国の王妃でしたが、夫と死に別れた後に、国をイギリスにとられてしまいます。
しかし彼女はあきらめませんでした。


1857年5月にインド大反乱が勃発すると、彼女は義勇軍と傭兵を率いてイギリスに敵対します。

自らライフルを手に取り、1858年6月18日銃撃されて命を落とすまでの間、彼女はイギリス軍に脅威を与え続けました。

福田英子=東洋のジャンヌ・ダルク


彼女の戦いは、今までの女性と違い、剣や銃をもっての戦いではありません。しかし彼女は政府と戦いました。女性の権利拡張を目指し、自由民権運動に身を投じ、のちに社会主義の思想にも共鳴しました。

マリア・ボチカリョーワ=ロシアのジャンヌ・ダルク

第一次大戦下で活躍したロシアの女性軍人です。婦人決死隊を結成しました。

しかしロシア革命の波に飲み込まれ、1920年に銃殺刑に処されました。

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