北条宗時の妻と子と子孫たち

北条義時の兄にして、北条時政の嫡男であった北条宗時。史実では父、弟ともども挙兵した源頼朝へ与するも、石橋山の戦いでの敗走後、平家方の伊藤祐親の配下によって討ち取られてしまいます。

もしも彼が生きていたならば、父時政の後継者は宗時であり、義時は兄の補佐を務めたでしょう。彼の死がある意味、北条義時の執権への道、そして承久の乱への道を開いたともいえるのですが、そんな北条宗時に妻や子供、子孫はいたのでしょうか。

気になったので調べてみました。

北条宗時に妻はいたか?

北条宗時は北条政子(1157年生まれ)の兄とされることが多いですが、異説では弟とも言われています。

少なくとも北条義時(1163年生まれ)より年長であるのは間違いないでしょうが、1150年ごろ~1160年前後の生まれである可能性が高いです。(父時政は1138年ごろの生まれですから、1140年代の生まれというのはまずあり得ないと思われます。)1180年の石橋山の戦いで亡くなった際には、まだ30歳にはなっていなかったと思われます。20歳前後でもおかしくありません。

この時代、20歳前後の男性なら結婚していてもおかしくはありませんが、北条宗時の妻に関しては何一つ記録に残っていません。もしも妻がいたのならば、義姉妹である政子や義弟である義時が何かと便宜を図りそうですが……。おそらく北条宗時はこの時点では公的な妻はいなかったのではないでしょうか。

北条宗時の子・子孫について

北条宗時の妻(正室)はどうもいない可能性が高いことは分かりましたが、それでは北条宗時に子供や子孫はいたのでしょうか。調べてみた限りでは、北条宗時に子供や子孫がいる可能性はどうも低いことが分かりました。

北条時房など、北条義時の兄弟の子孫は執権・得宗北条家の一族に深くかかわっている様子があるのですが、彼らの中に「宗時の子、孫」であるとされている人物はいません。北条義時はもちろん、北条政子は、おそらく亡き長兄の子孫がいるのならばある程度厚遇しているでしょうから、北条宗時の子や孫がいたとしたら、名前を残していないというのはおかしい気がします。そのことから考えても、北条宗時に子供はいなかったと考えるのが妥当でしょう。

北条家の系図等も探してみましたが、その中でも宗時の子や孫、子孫と思われる人物についての記載はありませんでした。

もしも北条宗時に子や孫、子孫がいたとしても、鎌倉幕府滅亡時に、他の北条一族もろとも征伐されている可能性が高そうです。北条宗時の子孫、特に男系子孫は現代まで続いてはいそうにないですね。

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