戦国三大梟雄の一人、松永久秀。
「麒麟が来る」に、さっそく出てきましたね。
彼の生涯についてはまたお話しするとして、この人物の子孫にはだれがいるのか。
調べてみました。
子供(嫡男?) 松長久通
松永久秀は、自身の書状の中で、「久通ニ兄弟もなく」と書いています。
おそらく久秀の息子は、久通ひとりだったのでしょう。
この久通は父に代わって、足利家の第13代将軍義輝暗殺に加わっています。
久通は父に従順に従い、父とともにその命を終えました。
久通には子供が二人いましたが、その子供たちは織田家に人質として出されていたため、久秀が謀反を起こした際に処刑されてしまいました。
一説には、博多に逃れた子供が一人いるといわれており、その系統から軍人の松永貞市が出ています。
娘(もしくは孫娘?) 伊勢貞好?伊勢貞為?伊勢貞景?室
伊勢貞好か伊勢貞為、もしくは伊勢貞景に嫁いだ娘(一説には孫娘)がいるそうです。
伊勢氏は室町幕府の政所職を代々世襲していました。となるとこの結婚は久秀と足利幕府の宥和政策みたいなものなんでしょうか。
この娘は豊臣秀頼の侍女・阿古御局を生みました。
孫(ひ孫?) 阿古御局
江戸時代初期に、大阪城で「大上臈」とも呼ばれた高位の侍女でした。
もとは淀殿、次いで豊臣秀頼に仕えました。ちなみに初出仕は12歳で、その翌年には秀頼に同行して宮中に参内しています。スピード出世!
しかし、大坂夏の陣で豊臣家が滅びる際に、彼女もそれに殉じました。この時まだ20歳だったそうです。
祖父、おじ、そして自身も火に包まれながら生涯を終えるとは、思ってもいなかったことでしょう。
娘 日根野弘勝室
日根野弘勝は美濃の武将・日根野弘就の息子だそうです。
久秀には、 彼に嫁いだ娘が一人いたようです。(養女かもしれませんが……)
孫? 日根野弘佐
日根野弘勝の子供。江戸幕府の旗本であったようです。
子孫も弘方、弘義、弘長……と続いたようです。
子孫?遠縁? 松永貞徳
久秀の子供?(養子?)の松永永種の子供です。
貞徳の父、永種は、摂津国の入江氏出身で、松永久秀のはとこにあたる、といわれています。
が、永種は久秀の息子、貞徳は久秀の孫説もあります。
ただ貞徳自身は、父永種は久秀のはとこ!としているので、おそらく貞徳と久秀は遠い親戚であり、子孫ではないでしょう。
松永貞徳は、江戸時代に俳諧隆盛のきっかけを作った人物で、自身は細川幽斎らに師事していました。
細川幽斎は、もともと足利将軍家に仕えたのち、織田家に仕えています。久秀からすれば敵にも味方にもなった人物に、
まさか自分の親戚が和歌を学ぶことになるとは思ってもいなかったのではないでしょうか。
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