摂関家に勝った女 陽明門院 禎子内親王 その生涯について

女院

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

陽明門院禎子 後朱雀后 後三条母 三条院第三皇女 母法成寺関白第二女皇太后藤妍子 長和二十二十二為内親王 四年十二二十七准三宮 三 万寿四三二十三 入太子宮十五 長元七七十八奉誕後三条 同十二十三為中宮二十五 三一為皇后宮 寛徳二七二十二為尼 三十三 妙法覚今年正十六後朱雀院有御事 永承六二十三 為皇太后三十九 治暦四四十七為太皇太后五十六 同五二十七甲寅 院号五十七 寛治八正十六御事  年八十大説八十二 

『女院小伝』より

今までの二人が摂関家(藤原氏)出身であるのに対して、彼女は皇族です。

父は三条天皇、母は藤原道長の二女、中宮藤原妍子です。

妍子は姉彰子同様に男児を産むことを祈願されましたが、産んだのは女子、禎子内親王でした。

相府已に卿相・宮殿の人等に見え給はず、不悦の気色甚だ露なりと。女を産ましめ給ふに依りてか。

『小右記』より

摂関家からは女として生まれたことを否定されたような彼女ですが、しかし彼女はその「女」を武器に摂関家を衰退へ追いやるのですから、歴史は皮肉ですね。

幼くして父と死に別れた彼女は、母妍子、伯母上東門院らの庇護のもと育ちます。

そして成長した彼女は、伯母上東門院の息子で、従兄の後朱雀天皇のもとに嫁ぎます。
(この時点で後朱雀天皇は叔母(上東門院の妹の嬉子)と結婚、子供もいましたが、彼女と死別していました。)

そして二人の内親王と一人の親王を産むのですが。

彼女と夫の間は、伯父頼通によって引き離されてしまいます。
夫の即位後、頼通は養女の嫄子を入内させ、中宮にしたのです。

敦康親王の妻と娘
一条天皇と皇后・定子の間に生まれた第一皇子・敦康親王。 天皇の正妻腹の第一皇子という立場でありながら、時の権力者・道長の孫である異母弟たちが帝位にのぼったため、彼自身は結局高御座に座ることなく、若くしてその生涯を終えました。 そんな敦康...

禎子内親王は名ばかりの皇后に追いやられました。まるでかつての一条天皇皇后定子のように。

彼女はかつての東三条院のように、内裏を出ました。

その式部卿の御子の御むすめにおはしませば、みかどにはめいにあたらせ給へり。かくてやよひのついたちに、きさきに立たせ給ひぬ。御とし廿二にぞおはしましゝ。もとの后は皇后宮にならせ給ひき。そのもとの后は、みかど東宮におはしましゝ時より、参り給へりき。三条院の姫宮におはします。それは御とし廿五にならせたまへりき。陽明門院と申すはこの御事なり。御ぐしのうつくしさを、故院見まゐらせぬ、くちをしとてさくり申させ給ひけんもおもひやられて、おなじきさきと申せども、やんごとなくおはします。ひさしくうちへ参らせ給はざりけるころうちより、
 あやめ草かれしたもとのねをたえてさらに恋ぢにまどふ比哉 
と侍りけん。御返事はわすれにけり。

『今鏡』より


後朱雀院にたてまつらせ給ふ、
いまはたゞ雲井の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知れず

『今鏡』より

しかし、彼女はひるみませんでした。彼女には守るべき息子がいました。
そして、耐えることを選択しました。

頼通の養女嫄子は結局二人の内親王を産み、そのまま早逝してしまいました。

禎子内親王の夫、後朱雀天皇没後に跡を継いだのは、後朱雀天皇と先妻の嬉子の間に生まれた後冷泉天皇ですが、禎子内親王は自らの息子を東宮に着けることに成功します。
(これには自身の叔父で側近だった藤原能信の働きが大きいらしいですが、この方についてはまたの機会に)

とはいえどここでまた立ちはだかるのが頼通。
また自身の娘である寛子を後冷泉の後宮に入れます。

ここで後冷泉天皇と有力な后との間に子供が生まれたら……

しかし天は禎子内親王に味方しました。

結局寛子をはじめとする有力な后と後冷泉天皇との間に子供は生まれませんでした。

そして彼女の息子、後三条天皇が皇位につくのです。

後三条天皇は延久の荘園整理令など摂関家の権力削減に努めました。

そして後三条天皇の息子、白河天皇が院政を開始するのです。
(ちなみに白河天皇と陽明門院は一時白河天皇の後継者を巡って仲たがいしたりもするのですが……詳しくは割愛します。)

父母夫子供、多くの人を見送るなど、伯母上東門院同様長生きしました。
この時の天皇は堀河天皇、陽明門院のひ孫でした。

彼女の次に女院となったのは二条院、彼女自身の従妹で、従兄の子であり、彼女の夫の従妹で、姪でもある、すごく血の近い、そして「内親王」です。

ただ彼女と陽明門院の生き方は似て非なるものでした。それについてはまた次回に。

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