中世史(日本史)歩き巫女とは?歩き巫女の歴史 2023年の大河ドラマ『どうする家康』には歩き巫女・千代が登場することが発表されましたね。 また、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、大竹しのぶさん演じる謎の老婆が歩き巫女のような形で登場しました。 では、歩き巫女とは一体何なので... 2022.12.03中世史(日本史)
中世史(日本史)北条政村の妻(正室、側室)たち 『鎌倉殿の13人』もだいぶラストが近づいてきました。 主人公・義時の野心あふれる三番目の妻・のえ(伊賀の方)の愛息・政村も成長してきている姿が描かれていますね。 後に鎌倉幕府七代目執権として、異母兄・泰時の孫・時頼とひ孫・時宗の間をつないだ... 2022.11.30中世史(日本史)
中世史(日本史)真喜姫 家康を織田と結びつけたかもしれない家康の継母 家康は松平広忠と正室・於大の方(水野忠政の娘)との間に生まれています。 しかし水野氏が織田氏についたこともあり、今川方だった松平広忠は、於大の方と離縁します。 その後、松平広忠は戸田康光の娘と再婚しました。後世には「真喜姫」の名前で知られて... 2022.11.27中世史(日本史)
中世史(日本史)市場姫 家康の唯一?の異母妹 家康の父・広忠は若くして亡くなっていますが、幾人かの子を残しています。 広忠唯一の娘として名前が挙がるのが、荒川氏、また離縁後に筒井定次に嫁いだとされる市場姫です。(広忠には長沢松平氏に嫁いだ「矢田姫」という娘がいたという説もあるので、実際... 2022.11.21中世史(日本史)
中世史(日本史)徳川家康の愛した男(少年)たち~家康の男色相手たち~ 戦国時代、武将たちの多くは美少年を寵愛した―いわゆる男色に励んだことで知られています。 例えば戦国大名の代表格でもある武田信玄は、男性の恋人に送った手紙が現代まで残っていたりしますね。 信長も森蘭丸ら小姓を抱えており、一説には加賀百万石の藩... 2022.11.14中世史(日本史)
中世史(日本史)徳川家康の長男・松平(徳川)信康の妻(正室・側室)と子と子孫たち 徳川家康が正室・築山殿(瀬名姫)との間に儲けた長男が、松平信康(徳川信康)でした。 信康は家康の嫡男として、家康の最大の同盟相手でもあった織田信長の娘・徳姫(五徳)と結婚するなど、徳川の御曹司として順風満帆な人生を歩み始めた……にもかかわら... 2022.10.24中世史(日本史)
中世史(日本史)三浦胤義の妻(正室、側室)と子と子孫たち 承久の乱において、京方についた武将の代表格が三浦胤義です。 彼は「鎌倉殿の13人」こと13人の御家人の一人・三浦義澄の末子、かつ三浦義村の同母弟(異母弟の可能性もありますが……)という非常に鎌倉幕府の中枢に近い身の上でありながら、承久の乱時... 2022.10.12中世史(日本史)
中世史(日本史)藤原秀康の妻(正室・側室)と子孫 承久の乱において、後鳥羽上皇軍の総大将の地位にあったのが藤原秀康でした。 この秀康、先祖は大百足退治で知られる俵藤太こと藤原秀郷なのですが、本人は鎌倉から遠く離れた京の地でおもに御所の警護にあたっていた人物、かつ受領として富を築いてきた人物... 2022.09.25中世史(日本史)
中世史(日本史)鎌倉幕府第六代将軍・宗尊親王の妻(正室、側室)と子供たち 鎌倉幕府の将軍は源氏将軍が3代で絶えた後、頼朝の妹の子孫である摂家の子息を将軍としていました。 しかし、四代目将軍・藤原頼経、そしてその息子の5代目将軍・藤原頼嗣はいずれも若いうちに将軍位を追われ、京へと追放されます。 新たに鎌倉幕府が迎え... 2022.09.19中世史(日本史)
中世史(日本史)北条時氏の妻(正室・側室)と子と子孫たち 『御成敗式目』を制定するなど、鎌倉幕府の安定化を図ったことで知られる三代目執権・北条泰時。 泰時の後継者は、三浦義村の娘との間に生まれた嫡男・時氏でしたが、彼は早世してしまいます。 しかし、時氏の子たちが祖父の跡を継いだことで、時氏の血筋は... 2022.09.07中世史(日本史)