古代史(日本史)藤原道長に敗れた悲運の御曹司・藤原伊周の妻と子と子孫たち 摂関家の最盛期を築いたのは、皆さんもご存じ藤原道長、そしてその息子である藤原頼通です。 しかし、道長が権力をふるうその栄華の中で、道長に追いやられ、失意のまま亡くなった人物も少なからずいました。 その代表例が、道長の長兄・道隆の... 2022.11.29古代史(日本史)
古代史(日本史)清少納言と藤原道長~清少納言は道長を嫌っていたのか?~ 紫式部と、その主人藤原彰子の父・藤原道長の関係性については様々な疑惑を読んでいますね。実は恋人同士だったなんて説もあるようです。 一方、創作物において、紫式部のライバルとして名前がよくあがる清少納言(藤原彰子のライバル・定子の女房)は... 2022.11.20古代史(日本史)
古代史(日本史)推古天皇の子孫はいるのか?日本初の女帝・推古天皇の子孫について調べてみた 日本には、8人の女帝(女性天皇)が存在しました。 女帝の第一号として名高いのが、聖徳太子を摂政としたことでも知られる推古天皇ですね。 推古天皇はもともとは欽明天皇の皇女・額田部皇女として生まれ、異母兄の敏達天皇の皇后となった女性... 2022.10.13古代史(日本史)
古代史(日本史)持統天皇の子孫は今にも残っているのか?持統天皇の子孫について調べてみた 日本史において政治に携わった女性は数多くいますが、その中でも最も精力的に政治にいそしんだのは、古代の女帝・持統天皇でしょう。 天智天皇皇女として生まれた彼女は、叔父・天武天皇の皇后となり、天武天皇の死後、早世した息子に代わって自らが女... 2022.10.06古代史(日本史)
古代史(日本史)小少将の君(上東門院小少将) 紫式部女房時代最愛の友人 紫式部はあまり人付き合いには積極的な方ではなかったようで、宮中生活では左衛門の内侍などに敵視されたりと、なかなか苦労したようです。 そんな紫式部の宮中生活における親友が、後に「上東門院小少将」と呼ばれる女房です。 中宮彰子の従姉... 2022.07.13古代史(日本史)
古代史(日本史)紫式部をいじめていた?左衛門の内侍・橘隆子 『紫式部日記』には、紫式部の周りを取り巻く人々のことが多く描写されています。 その中で、紫式部との因縁が描写されているのが、一条天皇の女房だったと思われる「左衛門の内侍」という女房でした。 この女性はどのような女性だったのでしょ... 2022.07.11古代史(日本史)
古代史(日本史)上東門院女房衆の取りまとめ役、宮の内侍・橘良芸子 紫式部が仕えた中宮・藤原彰子には多くの女房達がいました。 道長やその妻の親族、また紫式部たちのように学識を持って仕える女房など、短期間だけでも仕えた女房も入れるならば、おそらく数十人、下手したら百人単位になるかもしれません。 そ... 2022.07.10古代史(日本史)
古代史(日本史)藤原道長の妻(正室・側室)たち 摂関政治の全盛期を築いたのは、藤原北家の御堂関白・藤原道長でした。 その栄華に満ちた生涯から、一説には「光源氏」のモデルの一人ともなったとも言われる藤原道長ですが、彼の立身出世には妻たちの存在も大きく影響していたようです。 ここ... 2022.07.06古代史(日本史)
古代史(日本史)紫式部を取り巻く男たち~紫式部の夫と恋人は?~ 2024年の大河ドラマ『光る君へ』で主役となるのが、吉高由里子さん演じる「まひろ」こと「紫式部」です。 紫式部は当時の女性の多くのように、本名はおろか、生年や死亡した年、また婚姻関係についても多くのことは分かっていません。 今回... 2022.07.04古代史(日本史)
古代史(日本史)蘇我蝦夷・入鹿親子に子孫はいるのか? 645年、大化の改新に先立つ乙巳の変にて、蘇我本宗家の大臣・蘇我入鹿が暗殺されました。 その後、入鹿の父親である蝦夷も、蘇我家の大量の宝物、また『天皇記』といった歴史書らを道連れに、館に火を放ち自害しました。 さて、これにて蘇我... 2022.05.06古代史(日本史)