夫樂浪海中有倭人 為百餘國㠯歳時來獻見云
引用:漢書地理志燕地
「倭(=日本)」という地域が、中国の歴史書に初めて記されたときの文章です。
当時の日本には多くの国々があったようです。
どのような国々があったのでしょうか。
この記事では主に歴史書を中心に調べていきますね。
奴国
建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
引用:後漢書東夷伝
福岡県の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印は有名ですね。
東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
引用:魏志倭人伝
このころには邪馬台国の勢力下にあったようですが、二万戸と多くの民が住んでいることから、大国ではあったのでしょう。
ただ、邪馬台国の北方の、名の分からない国の一つにも「奴国」があります。
もしかしたらこっちなのだろうか。
狗邪韓国
到其北岸狗邪韓國 七千餘里
引用:魏志倭人伝
倭の北岸にあったとされる国です。ただこの後に出てくる対海国=対馬なら、この国は朝鮮半島にあったと考えるのが妥当でしょうか。
倭人の朝鮮半島侵攻はたびたびあったことですので、もしかしたらこのころに倭人国家が朝鮮半島にあったのかもしれません。
対海国
其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活乗船南北市糴
引用:魏志倭人伝
対海という名前、絶海の孤島、というあたり、おそらく今の対馬のことでしょうか。
一大国
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
引用:魏志倭人伝
海のただなかにある、対海国より少し小さな国……やはり島でしょうね。壱岐島に比定されています。
末盧国
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之
引用:魏志倭人伝
佐賀県の地名に松浦(まつら)があり、これに比定されています。
このあたりの菜畑遺跡では縄文末期の水田跡が残されており、大陸からの文化が多く流入していたのでしょう。
伊都国
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
引用:魏志倭人伝
もう邪馬台国の勢力圏内です。
特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國
引用:魏志倭人伝
なる記述もあり、邪馬台国の勢力下にある国のなかでは重視されていたようです。
不弥国
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
引用:魏志倭人伝
奴国の東にありました。おそらく福岡県の辺り。
投馬国
南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
引用:魏志倭人伝
不弥国の南。ちなみに戸数だけだと邪馬台国の次に大きな国です。
ちなみにこの国がどこにあるか?によって邪馬台国がどこにあったのかがだいぶ変わってきます。
そのため邪馬台国と並んで、どこにあったのかが分からない国。
邪馬台国
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
引用:魏志倭人伝
引用:魏志倭人伝
邪馬台国(邪馬壱国とも)です。投馬国の南だそうな。
斯馬国 巳百支国 伊邪国 都支国 弥奴国 好古都国 不呼国 姐奴国 対蘇国 蘇奴国 呼邑国 華奴蘇奴国 鬼国 為吾国 鬼奴国 邪馬国 躬臣国 巴利国 支惟国 烏奴国 奴国
多くの名前が出てきますが、これらは邪馬台国の勢力圏内で邪馬台国の北方にあった国です。詳細不明とのこと。
狗奴国
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里~(中略)~其八年太守王頎到官 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢 拝假難升米 為檄告喩之
引用:魏志倭人伝
邪馬台国の勢力圏にはない国とのことです。また卑弥呼の死の前に、邪馬台国はこの国と戦争を開始しています。
侏儒国
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺
引用:魏志倭人伝
邪馬台国からさらに海を渡ったところにあるそうです。あとなぜか小人設定あります。
裸国 黒歯国
去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
引用:魏志倭人伝
すっ裸だったりお歯黒を塗ったりすることから付けられた国名でしょうか。
こうしてみると多くの国々がありますが、それでも百余国には程遠い……
名前の残されていない国々も多くあるのでしょうね。
今度は遺跡などから「あったのでは?」とされている国々について調べてみようと思います!
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