国際女性デーの歴史と女性参政権

世界史

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※当記事は各種書籍・史料を参考に作成していますが、最新の研究で否定された内容など誤った情報を含んでいる可能性もあります。それを踏まえてお読みくださいませ。

今日、3/8は国際女性デーですね。
なぜ、今日が国際女性デーになったのでしょうか。

調べてみました。

国際女性デーのはじまり

1904年3月8日、アメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が女性参政権を要求してデモを起こしたことにちなんでいます。

この出来事に感銘を受けたドイツのクララ・ツェトキンが、1910年、デンマークのコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱しました。

この流れを受けて、日本では、1923年3月8日に、社会主義系のフェミニスト団体である赤瀾会が初の集会を開催しています。

そして国際連合は1975年の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定めています。

つまりこの成り立ちには女性の政治参加=女性参政権が深く関係しているようですね。

では、女性参政権について、すこし見ていきましょう。

女性参政権の歴史


フランス革命以後、いわゆる普通選挙が行われるようになりましたが、それはあくまでも男性の話。
女性参政権が認められるようになったのはそれらの動きのかなり後の話でした。

恒常的な選挙権が認められるようになったはじまりは、1869年、アメリカ合衆国ワイオミング州、被選挙権も含めたいわゆる参政権は、1894年の、オーストラリア南オーストラリア州が初めてだそうです。

例えば、アメリカ合衆国自体が女性参政権を認めるようになったのは1920年のこと。1904年の女性参政権要求デモはこのような動きの中で起こったことなのでしょうね。

ちなみに英米系の国々は、この動きの中では第一次大戦後の比較的早い段階から女性参政権が導入されています。一方で自由の代名詞、フランスは第二次世界大戦後の1945年、日本と同時期であり、やや遅めです。

これには英米県の国々では、女性が「権利を主張する団体」の一部のように扱われたから導入が早かったのでは、という説もあります。


女性という「一個人としての権利」というよりも婦人団体などの「利権団体」扱いということです。

そう考えると、女性の一個人としての権利が本質的に認識されたのは、もしかしたら第二次世界大戦後と、比較的最近のことということなのでしょうか。

なんだか悲しいですね。

現在も女性参政権がない国

サウジアラビアとバチカン市国です。

バチカン市国の場合、おそらく国民のほとんどが聖職者であることや、バチカン市国民は基本的に二重国籍(もともとの国籍を持つ)ことなども理由にあるでしょう。

サウジアラビアはイスラムの戒律を厳しく守っている国であり、そのため女性の権利を厳しく制限しています。

最近ようやく女性の自動車の運転が認められた、なんてニュースもありましたね。
ただサウジアラビア諮問評議会の議員に女性が任命(選挙で選ばれたわけではないけれど)されるなど、明るいニュースもありますね。

国際女性デー、何気なくスルーしがちですが、その背景を考えると、とても大事な日なのだな、と思います。

難しい話ですけれど。

ちなみにイタリアでは、この日にミモザの花を贈りあうとか。

ロマンチックですね!

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