細川ガラシャ

中世史(日本史)

秀吉をフった女たち~太閤を拒絶した女たち~

織田信長ら戦国大名たちとの交流で知られる宣教師のルイス・フロイスによると「300人もの若い女性を城に囲っていた」とも言われるほど、女性好きだった豊臣秀吉。 実際に伝わる側室の数は10数人ほどと、実は徳川家康よりは少ない程の数なのですが、実際...
中世史(日本史)

独眼竜に愛された女~伊達政宗正室・愛姫~

今日でもなお愛されている武将の一人が、独眼竜こと伊達政宗でしょう。彼の正室は、愛姫(めごひめ)という女性でした。結婚した当初はなかなか歩み寄れなかった夫婦ですが、その後はお互い愛し、信頼し合っていた様子も残る夫婦。 ここでは、伊達政宗正室愛...
中世史(日本史)

細川忠興の妻たち

明智光秀の娘、ガラシャが嫁いだのは熊本藩の藩祖とでもいうべき、細川忠興でした。忠興はガラシャを熱愛したことで有名ですが、同時に戦国時代の常として、側室も何人か持っていました。 その側室も含めた忠興の妻たちについて、書いていこうと思います。 ...
中世史(日本史)

清原マリア(清原いと) ガラシャに洗礼を授けたキリシタンの侍女

明智光秀の娘、たまに洗礼を授け、ガラシャの名前を与えたのは、ガラシャの侍女であった清原いと(マリア)でした。 公家・清原家の娘として生まれた彼女は、なぜキリシタンへの道を歩んだのでしょうか。 ※ちなみにガラシャの侍女としては、「小侍従」など...
中世史(日本史)

明智光秀の子・孫・子孫たち

本能寺の変で敗れた明智光秀、彼の子孫はこの世にどれほどいるのでしょうか。 調べてみました。 本能寺の変と光秀母との関係についてはこちら 明智光秀の子供 安土山より逃げた明智の部将は、明智の妻子親族等のゐた坂本の城に入ったが、火曜日(六月十四...