(彼女は)兄の跡を継いだ。彼はエジプト王で、臣下に暗殺された。
ヘロドトス『歴史』より
その後、王を亡きものにした臣下たちはこの女性を王位につけた。
殺された兄弟の仇を討つことを決意した彼女は、狡猾な方法を考え出し、膨大な数のエジプト人を抹殺した。
その後彼女は大きな地下室を作り、そこに多くの人々を集めた後、その部屋にナイル川の水をそそぎこむことで彼らを殺し、そして自身は焼き灰の中に身を投げて自殺したといいます。
この話を書いたのは、紀元前5世紀の古代ギリシャの歴史家ヘロドトス。
プトレマイオス王朝の歴史家マネトもまた、記録を残しています。
ニトクリス女王は第6王朝の最後の支配者、12年の在位で第3ピラミッド(第4王朝メンカウラ―王のピラミッド)を建築したと。
色白で赤い頬をした、同じ時代の女性の中で最も高貴で愛らしい女性
マネト『アイギュプティカ』より
とも記載しています。
この女王はどんな女性だったのでしょうか。調べてみました。
ニトクリス女王の家族
・第6王朝最後の女王
・兄の後をついで女王
という要素から考えると、
父……ペピ2世(第6王朝ファラオ、100歳まで長生き!)
母……不明。ペピ2世の妻にはネイト・イプト2世・ウジェブテン・アンクネスペピ3世及び4世などがいるようですので、それらのいずれかか。
ちなみに
ネイト・イプト2世・ウジェブテン……ペピ2世の異母姉妹かつ従姉妹
アンクネスペピ3世……ペピ2世の兄メルエンラー1世(ペピ2世の前の王)の娘
アンクネスペピ4世……出自の詳細は不明。名前からすれば王家出身もしくはペピ2世の母方の一族(宰相クウイの一族)の出か? といった感じ。いずれにしてもお嬢様方がそろっていますね。
兄……メルエンラー2世(母はネイト?)
弟?……ネフェルカラー=ネビ(第8王朝のファラオ、母はアンクネスペピ4世)
ということになるでしょうか。ちなみに父ペピ2世は94年間在位、100歳まで生きたとのことなので、ニトクリス女王は即位した時点で結構いいお年だったのかもしれません。
なんとなくうら若い薄幸そうな美女を想像しちゃいますが……
ニトクリス女王=ネチェルカラー、ニトケルティ・シプタハ?
ニトクリス女王は第6王朝最後の女王だとマネトは記していますね。
これを、セティ1世の時代に編集された『アビュドス王名表』で考えていくと、彼女に該当するのは「ネチェルカラー」なる王になります。
またセティ1世の息子、古代エジプトのナポレオンこと、ラメセス2世(ラムセス2世、ギリシャ語ではオジマンディアス)の時代に作られた『トリノ王名表』では、ニトケルティ・シプタハなる王が該当します。
いずれにしてもメルエンラー2世の後に王に王になったようです。
さて、ならネチェルカラー(ニトケルティ・シプタハ)がニトクリス女王のことじゃん!とすんなりとはいきません。
というのも「シプタハ」という名前は、そもそも男性の名前なのです。
ハトシェプスト女王は男装して王になったりしていますが、それでも「ハトシェプスト」という名前は変えていませんしね。
とすると「ニトケルティ・シプタハ」は男性と考えるべきではないでしょうか。
するとニトクリス女王、存在したのかすらわかりません。
ニトクリスは存在しないのか
ニトクリス女王はなら存在しなかったのか、と一概にも言いきれません。
ハトシェプスト女王の死後、彼女の記念碑等が破壊されたように、ニトクリス女王の痕跡が消された可能性も否めません。
例えば上記の『アビュドス王名表』には第18王朝アクエンアトン王やツタンカーメンの名前がなかったりします。
そう考えたら、例えば、ネチェルカラー(ニトケルティ・シプタハ)王のあとにもう一人女王がいたり……なんてこともあるかもしれませんね。
またエジプトは第6王朝の終焉後、第一中間期と呼ばれる長い混乱の時代に入ります。
エジプトは事実上分裂状態になり、「70日間で70人の王がたった」と言われるほどのありさまでした。
その混乱のさなかに、前王朝の王女が女王に立った、なんてこともあったのかもしれませんね。
参考文献
『古代エジプト女王・王妃歴代誌』 創元社 2008
ジョイス ティルディスレイ (著), 吉村 作治 (監修), 月森 左知 (翻訳)
『図説 古代エジプトの女性たち―よみがえる沈黙の世界』 原書房 2007
ザヒ・ハワス (著), 吉村 作治 (翻訳), 西川 厚 (翻訳)
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