中世史(日本史)

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女帝になった……かもしれなかった 八条院 暲子内親王

今回お話しする八条院 暲子内親王は、もしかしたら女帝になっていたかもしれない人物です。 日本において女帝は古代、飛鳥~奈良時代に、6人(もしかしたら「中皇命」含め7人かも)と、時代は下がって江戸時代、とある事情によってやむかたなしに生まれた...
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「大天狗」の姉 上西門院 統子内親王 その生涯について

上西門院 統子 本名恂子大治四五改之 二条准母鳥羽第二女 母大納言公実卿女待賢門院 大治元八十七為内親 年一 就別当権中納言実行 同二四六准三宮二 同日為賀茂斎院 同三五七 着袴三  天承(長承?)二六二十九退下 依病也 年七 保元二八十四...
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父と夫がまさかの…… 皇嘉門院 藤原聖子 その生涯について

皇嘉門院 藤聖子 崇徳后 近衛准母 法性寺関白第一女 母大納言宗通卿女従三位藤宗子 大治三十一九 叙従三位 八 同四正十一六為女御 九 同五二二十一 為中宮 永治元十二二十七為皇太后 天皇即位日年 二十一 久安六二二十七甲戌 院号二十九 保...
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強かなる平安シンデレラガール 美福門院 藤原得子 その生涯について

今までの記事の中で「鳥羽天皇の寵姫」としてのみ登場してきた彼女。寵姫の名前にたがわず美しく、そして鳥羽院政期を翻弄し、そして、もしかしなくてもその後約700年続く、武家の時代の幕開けに一役買った、日本史になくてはならない存在の女性です。 政...
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優雅なる流され人生 高陽院 藤原泰子 その生涯について

高陽院 藤泰子 本名勲子 依衆難改之 鳥羽后 知足院関白一女 母右大臣顕房公女従一位源師子 長承二六十九入上皇宮 三十九 同三三二 従四位下准三宮 四十 于時女勲子 十九日為皇后宮 于時泰子 保延五七二十八丙午院号 四十九 同七五五為尼 清...
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二人の帝王を股間に弄す 待賢門院 藤原璋子 その生涯について

タイトルは『飛燕外伝』趙合徳の言葉より 。彼女の生涯を表すのに、これほどふさわしい言葉はないように思います。彼女の美しさゆえに帝王(達)はゆらめき、そしてそれがためにいろいろな疑惑、事件が起こりました。平安末期、院政期の怪しい雰囲気の中でこ...
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「明智光秀の母」は果たして殺されたのか?

明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか? 日本史上に残る最大級の謎ではないでしょうか。 そしてその理由は多く語られていますが、その中の一つに、こんなものがあります。 明智光秀は丹波を平定する際に、自分の母親を、丹波の戦国大名波多野氏に、人質...
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愛された薄命の少女 郁芳門院 媞子内親王 その生涯について

郁芳門院 媞子 堀川准母 白河第一女 母右大臣顕房公第一女中宮藤賢子 京極関白養女 承保三八十六 為内親王年一 承暦二三十六准三宮三 同八二為伊勢斎宮 応徳元九九退下 年九依母后御事也 寛治五正二十三為中宮 年十六当今養母同母義 同七正十九...
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ザ・プリンセス 二条院 章子内親王 その生涯について

二条院 章子 後冷泉后 後一条第一皇女 母法成寺関白第三女 藤壺中宮藤威子 万寿四二十一 為内親王年二 長元三十一二十 一品准三宮五 長暦元十二十三入太子宮十二 寛徳二正十六為女御 受禅日年二十 永承元七十為中宮二十一 治暦四四十六為皇太后...
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戦国の美少年について~戦国三大美少年ではないけれど~

戦国三大美少年には入っていないけれど、美少年と逸話の残る人物は何人かいます。彼らについてまとめてみました。 岡剛介(岡清三郎) 宇喜多直家の小姓でした。 宇喜多氏に敵対する穝所(税所)元常が男色好みであったため、彼のもとに差し向けられ、討ち...