正室

中世史(日本史)

酒井忠次の妻(正室、側室)たち

家康の人質時代からの側近であり、徳川四天王・徳川十六神将の筆頭格と言われるのが、酒井忠次です。 三河一向一揆などの時にも、一族に背いてまで家康に仕えるなど、家康へ高い忠誠を示し続けました。 そんな酒井忠次の妻(正室・側室)はどのような女...
中世史(日本史)

榊原康政の妻(正室、側室)たち

初代舘林藩主にして、徳川三傑・徳川四天王・徳川十六神将すべてに名を連ねる家康の功臣といえば、榊原康政です。 おそらく2023年の大河ドラマ『どうする家康』においても、彼はキーとなるのではないでしょうか? そんな榊原康政の妻(正室、側室)...
中世史(日本史)

本多忠勝の妻(正室、側室)たち

徳川四天王にして徳川三傑でもある、徳川家康の重臣・本多忠勝。 生涯多くの戦に出陣しながらも、傷一つ負わなかったと言われるほど頑健であったことでも知られていますね。 そんな本多忠勝の妻(正室、側室)について調べてみました。 本多忠勝の正室...
中世史(日本史)

井伊直政の妻(正室、側室)たち

譜代大名として筆頭格である彦根藩井伊家の祖が、井伊直政です。徳川四天王の一人としても、有名ですよね。 そんな井伊直政の妻(正室、側室)について調べてみました。 井伊直政の正室:花(松平康親娘・徳川家康養女、唐梅院・清泉院とも) 井伊直...
中世史(日本史)

大江広元の妻(正室・側室)と子と子孫たち

鎌倉幕府のブレーンとして大活躍したのが大江広元です。 「鎌倉殿の13人」こと「十三人の合議制」のメンバーでもある中原親能の弟でもあり、また自分自身も「十三人の合議制」のメンバーとなり、兄弟ともども鎌倉幕府の礎を築くこととなりました。 そ...
中世史(日本史)

中原親能の妻(正室・側室)と子と子孫たち

京の都の下級官人でありながらも、頼朝とは年来の昵懇な間柄であり、後に頼朝の代官として朝廷相手に渡り合ったのが中原親能です。 彼は弟の大江広元ともども、「鎌倉殿の13人」こと十三人の合議制のメンバーの一人としても知られており、また九州を代表...
中世史(日本史)

三善康信の妻(正室・側室)と子と子孫たち

頼朝の乳母の甥であったことから、京の都で官僚として働きながらも伊豆の頼朝へ京の情報を流し続けていたのが三善康信です。 三善康信はのちに問注所執事になり、「鎌倉殿の13人」こと十三人の合議制のメンバーにも選ばれるなど鎌倉幕府の重臣となりまし...
中世史(日本史)

二階堂行政の妻(正室・側室)と子と子孫たち

鎌倉幕府の政所執事にして、「鎌倉殿の13人」こと十三人の合議制のメンバーでもある二階堂行政。 頼朝とは遠縁にあたる人物でもあります(二階堂行政の母は熱田大宮司・藤原季範の妹で、頼朝の母は藤原季範の娘です)。 朝廷の実務官僚から政所別当(...
中世史(日本史)

安達盛長の妻(正室、側室)と子供と子孫たち

源頼朝流人時代からの下人として知られるのが安達盛長です。一説には、北条政子と源頼朝のなれそめにも深くかかわっているとも言われています。 また彼の子孫・安達氏は鎌倉時代後半まで幕府の重臣として権威を保ち続けるなど、処世術にもたけていた印象が...
中世史(日本史)

和田義盛の妻(正室・側室)と子供と子孫たち

初代侍所別当につくなど、頼朝政権下で力を誇った和田義盛。実は三浦義澄の甥で、本来ならば三浦一族の惣領の座を継いだかもしれない人物でもありました。頼朝死後も、13人の合議制のメンバーとして権威を誇ります。 しかし彼は北条義時らと対立、最終的...