中世史(日本史)

明智光秀が織田信長に仕えるまで

明智光秀って経歴不詳なんですよね。 まず父母が不詳。子供も何人いたかよくわからない。 そんな光秀さんが、どうして織田信長に仕えることになったのでしょう。 光秀子供についてはこちら 明智光秀の最古の記録?『永禄六年諸...
中世史(日本史)

明智光秀の子・孫・子孫たち

本能寺の変で敗れた明智光秀、彼の子孫はこの世にどれほどいるのでしょうか。 調べてみました。 本能寺の変と光秀母との関係についてはこちら 明智光秀の子供 安土山より逃げた明智の部将は、明智の妻子親族等のゐた坂本...
女性史

瓜生繁子(永井繁子) 津田梅子の戦友にして瓜生外吉夫人

日本初の女子留学生、というと、津田梅子、大山捨松(山川捨松)がどうしても有名です。 が、もう一人の留学生、瓜生繁子も、陰ながら頑張っています。女子英学塾創始者のひとりでもありますからね。 彼女の生涯について、追ってみました。 ...
中世史(日本史)

女帝になった……かもしれなかった 八条院 暲子内親王

今回お話しする八条院 暲子内親王は、もしかしたら女帝になっていたかもしれない人物です。 日本において女帝は古代、飛鳥~奈良時代に、6人(もしかしたら「中皇命」含め7人かも)と、時代は下がって江戸時代、とある事情によってやむかたなしに生...
中世史(日本史)

「大天狗」の姉 上西門院 統子内親王 その生涯について

上西門院 統子 本名恂子大治四五改之 二条准母鳥羽第二女 母大納言公実卿女待賢門院 大治元八十七為内親 年一 就別当権中納言実行 同二四六准三宮二 同日為賀茂斎院 同三五七 着袴三  天承(長承?)二六二十九退下 依...
女性史

津田梅子 女子英学塾(津田塾大学)を開いた、意思を持つ女性教育家

新5000円札の人物が決まりましたね。 津田梅子。 我が国初の女子留学生として、わずか8歳!で渡米した人物で、帰国後、のちに津田塾大学となる「女子英学塾」を開きました。 彼女の生涯や人物...
オリエント

古代エジプト謎の女王 ニトクリス(ニトケルティ)

(彼女は)兄の跡を継いだ。彼はエジプト王で、臣下に暗殺された。その後、王を亡きものにした臣下たちはこの女性を王位につけた。殺された兄弟の仇を討つことを決意した彼女は、狡猾な方法を考え出し、膨大な数のエジプト人を抹殺し...
中世史(日本史)

父と夫がまさかの…… 皇嘉門院 藤原聖子 その生涯について

皇嘉門院 藤聖子 崇徳后 近衛准母 法性寺関白第一女 母大納言宗通卿女従三位藤宗子 大治三十一九 叙従三位 八 同四正十一六為女御 九 同五二二十一 為中宮 永治元十二二十七為皇太后 天皇即位日年 二十一 久安六二二十七甲戌 院号...
中世史(日本史)

強かなる平安シンデレラガール 美福門院 藤原得子 その生涯について

今までの記事の中で「鳥羽天皇の寵姫」としてのみ登場してきた彼女。寵姫の名前にたがわず美しく、そして鳥羽院政期を翻弄し、そして、もしかしなくてもその後約700年続く、武家の時代の幕開けに一役買った、日本史になくてはならない存在の女性...
古代史(日本史)

『令和』の由来と万葉集

新元号が発表されましたね。「令和」。 初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす 典拠は万葉集の序文からだそうで。 大友旅人の家での風景を語った序文だそうです。 どことなく蘭亭序を意...
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