女性史

中世史(日本史)

波の下の都を見ることができなかった女 建礼門院 平徳子

父は太政大臣、母はその正室。夫は天皇、子供も天皇。 女には栄華が約束されていました。 しかし、夫を亡くし、父を亡くし―戦乱の果てに、波の間に母とわが子は沈んでいき―女は全てを失いました。 この悲劇の女性は、平...
中世史(日本史)

平家の栄華の立役者 建春門院 平滋子

さて、今回ご紹介する女性は、美福門院に負けず劣らずのシンデレラ、かつ、実家を盛り立てていったという点では、美福門院よりもすごいかも?な女性です。建春門院 平滋子 後白河后 高倉母 兵部少輔平時信女 母民部卿顕頼女 仁安元十二十一 叙従三位 ...
中世史(日本史)

秘密の恋に落ちた女 高松院 姝子内親王

その女の前には栄華に満ちた日々が待っているはずでした。しかし歯車は合わず、彼女は姉や母のような栄華を手に入れることは、できませんでした。しかし彼女は、姉が持つことがかなわなかったものをいくつか手に入れ、そしてそれがために寿命を縮めたのです。...
中世史(日本史)

清原マリア(清原いと) ガラシャに洗礼を授けたキリシタンの侍女

明智光秀の娘、たまに洗礼を授け、ガラシャの名前を与えたのは、ガラシャの侍女であった清原いと(マリア)でした。 公家・清原家の娘として生まれた彼女は、なぜキリシタンへの道を歩んだのでしょうか。※ちなみにガラシャの侍女としては、「小侍従」なども...
中世史(日本史)

明智光秀の妻 妻木熙子

諸説ある明智光秀の妻ですが、確実に妻だった、と言えるのが、この女性「妻木熙子」です。彼女はどのような人物だったのでしょうか。虚実入り混じる記録をさらっていこうと思います。妻木熙子の家族妻木氏……土岐氏庶流明智氏の派生家のひとつ つまり明智光...
女性史

瓜生繁子(永井繁子) 津田梅子の戦友にして瓜生外吉夫人

日本初の女子留学生、というと、津田梅子、大山捨松(山川捨松)がどうしても有名です。 が、もう一人の留学生、瓜生繁子も、陰ながら頑張っています。女子英学塾創始者のひとりでもありますからね。 彼女の生涯について、追ってみました。 ...
中世史(日本史)

女帝になった……かもしれなかった 八条院 暲子内親王

今回お話しする八条院 暲子内親王は、もしかしたら女帝になっていたかもしれない人物です。 日本において女帝は古代、飛鳥~奈良時代に、6人(もしかしたら「中皇命」含め7人かも)と、時代は下がって江戸時代、とある事情によってやむかたなしに生まれ...
中世史(日本史)

「大天狗」の姉 上西門院 統子内親王 その生涯について

上西門院 統子 本名恂子大治四五改之 二条准母鳥羽第二女 母大納言公実卿女待賢門院 大治元八十七為内親 年一 就別当権中納言実行 同二四六准三宮二 同日為賀茂斎院 同三五七 着袴三  天承(長承?)二六二十九退下 依病也 年七 ...
女性史

津田梅子 女子英学塾(津田塾大学)を開いた、意思を持つ女性教育家

新5000円札の人物が決まりましたね。 津田梅子。 我が国初の女子留学生として、わずか8歳!で渡米した人物で、帰国後、のちに津田塾大学となる「女子英学塾」を開きました。 彼女の生涯や人物像について、調べてみました。 ...
オリエント

古代エジプト謎の女王 ニトクリス(ニトケルティ)

(彼女は)兄の跡を継いだ。彼はエジプト王で、臣下に暗殺された。その後、王を亡きものにした臣下たちはこの女性を王位につけた。殺された兄弟の仇を討つことを決意した彼女は、狡猾な方法を考え出し、膨大な数のエジプト人を抹殺した。 ヘロド...